2009年05月31日

黄月の挑戦。

こんばんは、黄月です。今夜は〔黄月の挑戦〕について書かせていただきますね。

黄月は短気です(笑)。表面上はかなり気が長い『フリ』をしているんですが。

黄月の趣味は人間ウォチングです。人間に全く興味のない黄月だからこそ、人様を見る修行をさせられている?ような感覚で、他人を観察し始めたのです。

人間ウォッチングを始めた訳は、「黄月さんは誰よりも霊界に近い人です。身は現世にあっても心は彼岸にあります。現実的な感覚を学び、人らしく生きなさい。」と言われたことがきっかけです。

誰よりも霊界に近く、誰よりも現実離れした感覚が黄月のストレスの原因でした。人様が普通に考えること、人様が普通に行動することに違和感を感じる黄月。人様と歩調を合わすことなんて全く考えたことがなかったのです。何でも自分の思い通りになる、なるべきなんだという錯覚が黄月の心を占拠していたのです。自分の思い通りにならないことがあるとひたすら落ち込み、攻撃していたのです。

人様を攻撃する、人様にご迷惑をおかけする言動の数々。それらのマイナスの意思は結果的には全て黄月に戻って来たのです。体調が悪くなり、日常生活も上手くいかない、そして人間関係もギクシャクするようになっても、それらの原因が何なのか気づかなかったのです。

誰しも幸せになりたい。自分だけは幸せになりたいと思うものです。誰よりも幸せになりたいから、人様を蹴落としてでも前に進もうとすることは正義なのか?。人は誰でも幸せになる権利を持って生まれています。誰でも幸せになり得るのです。幸せになれない理由は何か?と考えないから幸せになれないだけなのです。

黄月はよく自分の周囲の人様を観察します。周囲の人様を見ると黄月自身の境涯や心と魂の位置が分かるのです。「類は友を呼ぶ」の法則に従って自分を中心に周囲は動いているのです。

今日は黄月の周囲の人様がよく笑っている、穏やかな表情で過ごしている。そうならば黄月も一日中穏やかに楽しく過ごせるのです。今日はやたらと周囲が騒々しい、何かと口答えをする部下がいると感じる時は黄月自身もちょっと心と魂の位置が下がっているのかな?と言う風に考えるのです。

それぞれがそれぞれの感覚で生きています。それを否定したり批判する気持ちを捨てて、まずは自分自身が心と魂の位置を引き上げることを考えて下さい。そうすれば周囲は穏やかに笑顔で過ごせるのです。

自分はこんなに頑張っているのに、と愚痴をこぼす人様がいます。ですが、自分で自分を評価すること自体が無駄なのです。人様は人様、自分は自分と割り切って、評価されない理由をじっくりと考えれば良いだけです。じっくり考えれば、人様の評価よりももっと大切なモノがあることに気づくでしょう。

そうです、自分の願望や要求と人様の願望や要求が必ずしも同じではないことに気づくのです。そして自分が幸せになることで人様が幸せになれないかも知れないという状況だってあり得ることを受け止めるのです。幸せは自分の心が決めるのです。自分の幸せを人様に押し付けたり、人様も自分と同じような出来事を幸せと考えていると思い込んではいけないのです。

それぞれが自分にあった幸せを見つければ良いのです。幸せにできるのは自分だけであり、人様の幸せにまで口出しすることは決して良い言動ではありません。自分が幸せになることで、周囲の人様も幸せになって欲しいと願って下さい。

きっと『類は友を呼ぶ』の法則で、自分の幸せが人様の心に穏やかで楽しい感覚を与えることができるでしょう。

黄月は最近怒ることを辞めました。立場的に叱る必要はあります。ですがやたらと感情を表面化することを一切辞めています。そして何事にもまず感謝すること意識しています。

朝起きる時に、「今日も一日穏やかで楽しく過ごせますように。」と自分自身の心に語りかけます。些細な不都合や出来事に振り回されないように自分に言い聞かせるのです。

人はちょっとした出来事で感情が起伏します。それが楽しみや喜びの感情ならば良いのですが、人様の言動や自分の失敗により恨みや妬みや怒りの感情が湧き上がりそうになると、それをその場で打ち消すのです。そうすれば、そのようなマイナス思考を持ったまま一日を過ごさなくて済むのです。黄月はいつも心の中に凪の青い海をイメージしています。そしてその美しい海に抱かれている自分を感じているのです。

真っ青い空と凪の海。その色は限りなく澄んだブルーでその中で黄月はぽかりとゆったりと浮かんでいるイメージです。黄月は今でも彼岸に近い存在です。だからこそその場所のイメージが浮かぶことがあります。それらに振り回されることなく、現実世界で精一杯生きる黄月を大切に考えているのです。

スピリチュアリストの殆どは現実世界よりも精神世界を重視して生きています。ですが黄月は精神世界で生きることよりも現実世界で生きることを選びました。その時点から身を置く現実世界での修行を大切に考えています。精神世界で生きることよりも、ドロドロと欲と我に満ち溢れた現実世界で生きることの方が黄月には似合っていると感じたからです。

ですが最近思うことがあります。しっかりと現実世界にグランディングできたせいでしょうか、現実世界の中にも癒しや喜びや楽しみがたくさん存在していること。人様と歩調を合わせて生きることの素晴らしさ、心と魂と肉体のバランスの調和から齎されるたくさんの幸せ。黄月の選択は間違っていなかったと思うのです。

黄月は相変わらず安月給で仕事をしています。ですが充分満ち足りた生活をさせていただいています。数ヶ月前にパソコンが壊れました。黄月は新品のパソコンが欲しい訳でなく、『パソコンが欲しいな。』とぽそっと心の中でつぶやきました。

すると次の瞬間、妹の口から「壊れたパソコンあるけどいる?殆ど使っていない新品だよ。修理して使ってね。」。驚きました。そしてその新品のパソコンはその日のうちに黄月の家に届きました。そして故障の原因を探っていると、ふとパソコンに詳しい友人の顔が思い浮かびました。『○○君ならばどうするかな?』と考えた瞬間、故障だと思われていた原因が脳裏に浮かびました。

そしてその原因を取り除く作業に5分。パソコンは新品同様の動作を始めたのです。故障ではなくちょっとデータの破片が起動の邪魔をしていただけだったのです。急いで妹にパソコン直ったから返却すると電話をかけました。すると妹は既にその日のうちに新しいパソコンを購入したからいらないと返事をしたのです。

真新しい真っ白のノートパソコンは黄月の相棒となりました。黄月には手の届かないような値段のパソコンです。購入して半年も経たない箱に入ったままの美品でした。

黄月は怒りや憎しみや恨みの気持ちを自分の心の中から排除したいのです。それはある日の夢の中で語られた言葉がヒントとなっているのです。黄月の大切な既に彼岸に渡った友人の言葉です。その友人は時々黄月が生き易くなるようにメッセージをくれます。その友人が教えてくれたのです。

パソコンを貰っただけでなく、黄月の周囲が変化し始めています。それは不思議な変化です。何事も上手くいくようになって来たのです。人様の心と黄月の心の距離が近くなったようにも感じるのです。そして全ての出来事や経験を受け入れることができるようになりました。

自分を愛し、人様を愛し、全てのマイナスの出来事から既に解放されているように感じるのです。プライベートでも仕事でも難しい問題が起こってもそれらに不安や恐怖を感じません。上手くいくと信じられるのです。そして結果は思う通りになるのです。

恨み憎しみ苦しみから解放されたいと願う人様はたくさんいらっしゃるでしょう。黄月と一緒に挑戦しませんか?

ただひたすら前向きに考えるのです。辛いこと苦しいこと悲しいことを人様のせいにすることなく、全てを受け入れるのです。どんなに厳しい状況にあっても、人を恨まず、責任転嫁せず、そして自分自身を愛すことです。そうすれば人様は決してあなたを見捨てることはありません。
神様は人の心の中に居ます。
posted by kougetu at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

情報を遮断する。

こんばんは、黄月です。今夜は〔情報を遮断する〕について書かせていただきますね。

黄月は自称情報通でした。誰よりも社会経済、地震災害等の情報を持っていないと不安で仕方なかったのです。情報を持つことで世の中の流れに乗って生きていると勘違いしていたのです。

黄月は勘違いしていることに気づいたのです。生きる為の必要な情報はマスコミが伝えるような情報だけではないのです。テレビから流れる情報の質と量を鑑みた時、その情報に踊らされて生きる程おバカな生き方はないと言うことに気づいたのです。

生きる為に不幸や悲哀をそそるような情報は必要ありません。不幸や悲哀が生み出すのは怒りや恐れ、不安や焦燥感などの偏った思考です。そんな偏った思考を齎す情報ばかりを聞いて、世の中の流れを軽視したり評論家気取りで批判することは実にバカバカしいことであり、愚かなことなのです。

黄月はニュースドキュメンタリーが大好きです。今でも最低限度のユースは見ています。ですがその情報を決して鵜呑みにすることはなくなりました。取材側、放送側の魂胆を垣間見、そしてその情報に惑わされることがないように入り込み過ぎないようにします。

人は誰でも一人では生きていけません。ですが過剰に人様に関わること、過剰に人様に求めることは許されないことです。そのルールが分かっている人ならば過剰な情報によって、世の中の流れのマイナスの部分だけをやたらと強調して報道するメディアのあり方に疑問を抱くでしょう。

人の不幸は蜜の味、隣の火事的発想で面白がって苦しみ悲しみ辛さを抱える人様を観察すること程失礼であり無礼なことはありません。人は誰でも火の粉が自分に降りかからないように注意して生きていかなくてはいけません。ですが自分にかかるはずの無い火の粉まで払う必要がありますか?自分に関係のない人様を批判批評する必要がありますか?

メディアから投げられる政治評論家や著名人等の意見や言葉を鵜呑みにして、それを酒の肴とし議論をすることの愚かさ、人様の意見を自分の意見のように誇張し利口ぶって話すことは意味の無いことなのです。

黄月は気づきました。上手くいく流れに乗り切れている人様はメディアに踊らされていません。流行や流行物に惑わされずに生きているのです。流行や流行物に惑わされているから境涯が上がらない?そのような疑問符を持っています。

誰もに欲と我を捨てて生きなさい、とは言いません。ただその自分の思考がメディアから流される情報や流行に惑わされていないか?きっちりと心と魂の管理ができているか?と毎日毎分観察して生きて欲しいのです。自分の思考がマイナスに偏る原因をしっかりと認識し、人様と自分を比べない生き方をしていただきたいのです。

自分は自分、人様は人様。誰もあなた自身にはなりきれず、あなた自身を守る役目は与えられていません。自分を守るのは自分、自分を向上させるのもまた自分でしかないことを忘れないで下さい。

大切な人様を救う為にも、まず自分自身が幸せでなくてはいけません。自分自身が藁にも縋るような状態であれば、愛する人様を救うことはできないのです。自分を愛すことから幸せの感覚は生まれます。まずは一番大切な自分を好きになって下さい。自分自身をとことん愛して下さい。

黄月は自分を褒めてあげます。自分を愛して、自分自身が救われることを願っています。とことん大切な人様を守ってあげたいからなのです。自分の境涯が低いまま、自分の心と魂の位置が低いままではどうにもならないのです。まずは自分自身がしっかりと引き上がることを考えなくてはいけません。

人様と自分を比べることは無意味です。人様と自分を比べる癖の根本は過剰なメディアから流れ出す汚水(情報)にあるのかも知れません。メディアが世の中がせちがらい、生き辛い世の中だと報道すれば、殆どの人様の心の中には『世の中はせちがらいものだ、生き辛い世の中なんだ』と擦り込まれます。そしてその擦り込みが不安や焦燥感を煽るのです。

自分の心の中にマイナスの要因を増産させているのは過剰な情報、興味本位で知りたがる自分自身だと言うことに気づいて下さい。

黄月は1ヶ月間テレビを見ませんでした(天地人だけはビデオで見ましたけれど(笑))。それでも全く生活に支障は来たしませんでした。仕事に必要な情報は必要な分だけをインターネットで知ることができました。

テレビのない生活など考えられなかった黄月です。ですが情報を遮断することで見えた事実現実はとても大きな成果でした。人として生きる術をメディアに求め過ぎていた?テレビからは不幸な情報ばかりが強調されて流されます。見たくない情報が殆どであることにも気づけたのです。

興味のある人様は是非、テレビを見ないという『情報を遮断』する時間を作ってみて下さい。きっと自分自身の考え方が変わりますよ。
posted by kougetu at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

恋愛依存症。

こんにちは、黄月です。今日は〔恋愛依存症〕について書かせていただきますね。

黄月の周囲にも恋愛依存症に罹患した人様がたくさん居ます。何よりもまず恋愛を優先させ、恋愛が上手くいかないと何もかもに影響を及ぼします。命を明日に繋ぐ大切な仕事にも身が入らないという状態になるのです。

黄月は恋愛をするな、とは言いません。ですがそのレベルの高低、そして依存性が問題だとお話をさせていただくのです。全てを恋愛に賭けてはいけません。恋愛は必ず成就して結婚をして同じお墓にまで入れるとは限りません。やたらと一つの恋愛に人生の全てを託す、傍に自分の思い通りになる人がいないと不安になるという人様が増えて来たのではないかと黄月は危惧するのです。

最近40〜50歳代男性の恋愛依存性について考えるようになりました。いい加減な年齢であるのに関わらず、いつまでも少年のような感覚で恋愛したがる、そして不倫したがるという人様たちです。離婚率も高いですから、再婚を願う気持ちも分かりますが、あくまでも自分の欲望を満足させることだけを考えている人様がいます。

やたらと年下の女性とお付き合いしたり、結婚している女性と不倫をしたり、結婚できる状態でないにも関わらず「結婚しよう。結婚しよう。」と女性にプロポーズするのです。

年の差にも限度があります。10歳以上離れていれば、今は問題ないかも知れませんが将来は大いに影響があります。老年期になった時のことも充分に考えて結婚しなくてはいけません。将来的にきちんと家計が成り立つか、しっかりと稼ぎがあるうちに子育てが完了するかまで考えて子育ての計画を立てなくてはいけません。

黄月の友人男性は54歳で26歳の女性と結婚しました。好きで堪らないという感情だけで結婚をしたのです。そして友人56歳の時に子供が誕生しました。ん?『この子が20歳になった時にお父さんは76歳!!』心配するのは黄月だけではありません。

現在の雇用状況では60歳以上で正規の仕事に従事し続けることはとても難しいことです。あと数年で定年退職しなくてはいけないのです。友人男性は『大丈夫、かみさんがしっかりしているからね。』と言います。どんなに奥さんがしっかりしていても夫と子供の2人を養うことはかなり厳しいと思います。

数日前にこの友人男性の奥さんと食事をご一緒させていただきました。奥さんの口からは将来の不安、育児に関する不満ばかりが飛び出していました。目をウルウルさせながらお話するその姿はとても哀れでなりません。『将来が怖い。』と離婚を考えているのです。

今年中にも友人男性は定年で退職させられるでしょう。ですが友人男性はまだ再就職の先も決まっていません。なのにいつも笑顔で暢気に構えて、奥さんの真剣な相談話も聞き流すと言います。そして決まって「何とかなるさ。」と。

何とかならなかったらどうするの?と黄月は思いきって友人男性に聞いてみました。すると答えられないのです。答えられるはずはありません。仕事を転々と変えて退職金も殆どないのが現状です。年金を貰えるまでにはまだ時間があります。

好きだ、愛している。だから結婚するのが当然??

本当に好きならば、その人様の人生そのものを慈しむ気持ちが必要です。恋愛は愛情だけ持てれば充分でしょう。ですが結婚は愛情だけでは不十分です。愛情よりも慈愛の精神を要求されるのです。

どんなに好きでも、好きな感情だけで結婚してはいけないのです。好きという感情は永遠に続きません。永遠に続くのは慈愛の感情だけです。大切な人様を守る、大切な人様の為に生きるという気持ちを長続きさせることはとても難しいことです。

自分の欲望の為に人様が存在しているのではありません。自分の思い通りに生きることが幸せではありません。時には苦しい辛い悲しい決断をすべきであり、それが慈愛です。

恋愛依存症に陥りやすい人様は何度も離婚を繰り返します。一つ一つの経験を反省しないから同じ失敗を繰り返すのです。結婚していても伴侶以外の異性を好きになったり、と自分の愛欲のスイッチが壊れてしまう状況に陥っているのです。これは一種の病気だと言えます。

posted by kougetu at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

ゆるす勇気。

こんばんは、黄月です。今夜は〔ゆるす勇気〕について書かせていただきますね。

黄月の今の課題は〔ゆるす〕ということです。娑婆世界では管理職として上司と部下の狭間で悪戦苦闘を繰り返しています。時には上司にも堂々と苦言を呈すその姿を見れば、誰も黄月がストレスを感じているとは思わないでしょうけどね(笑)。でも実際は強いストレスを感じているのです。

黄月が今の病院就職した理由は、夢の中で『○○病院で働きなさい。』というメッセージを受けたからです。病院改革の役目を背負っていることは重々承知の上のことだけど、余りにも役目が重労働で責任が重い為、ストレスは溜まる一方なのです。

黄月は最近、「ゆるせない症候群」に罹患してしまったようです。何だか分からないまま何もかもが〔ゆるせない〕ような気になってしまうのです。ただただイライラしてしまうのです。全てのことが〔ゆるせない〕ような、何もかもが穏やかに受け取れないような感じです。

今日も病院に仕事に行きましたが、体調も充分でないし思い切って早めに仕事を切り上げました。そしていつもの量販店で夕食の惣菜を買おうと立ち寄りました。御木幽石さんのグッズコーナーの前でふと立ち止まりました。黄月はお地蔵さんグッズが大好きです。家の中には、幽石さんのお地蔵さんのカレンダーやパネルをたくさん飾っています。しばし量販店で優しい時間を過ごさせていただきました。

幽石さんの書く優しいお地蔵さんの表情やメッセージは黄月の疲れた心を温かく包み込んでくれるのです。今日は特別何を買おう?ていう感じではなく展示されているパネルなどのメッセージを順番に読みました。すると、何だか心にジーンと染み込むのです。お地蔵さんの絵とメッセージが心のドアを叩き入って来たのです。

そうだ、黄月に足りないのは〔ゆるす勇気〕なんだ。そう思わせてくれたのです。黄月は部下や上司には細心の気配りをしている『つもり』でした。ですが『つもり』では人様の心には伝わりません。自分の都合で人様を動かそうとしていることに気づきました。

自分を変えることはできても、人様を変えることは容易くはありません。まして人様の心を思い通りに操ることなんて不可能です。人様の心を自分の方向へ向かせるには、自分自身が変わるしかないことは誰よりも良く知っている黄月のはずでした。

黄月のパソコンデスクの横に幽石さんのカレンダーがあります。4月は「大切なのは信じる心。もっと大切なのはゆるす心。」と2体のお地蔵さんがニッコリと微笑んで教えてくれています。忙しくてカレンダーを見る暇もなかったのです。メッセージは身近にもあったのです。でも気づかなかったのです。

苦しい辛い悲しい忙しい気持ちが先立つ時こそ、笑顔にならなくてはいけません。無理にでも笑顔になろうとすると、気持ちもそれに感応しようとします。忙しさをやり過すには、気持ちを引き上げないといけません。お地蔵さんはニッコリと微笑んで教えてくれました。
posted by kougetu at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

仕事を楽しもう。

こんばんは、黄月です。今夜は〔仕事を楽しもう〕について書かせていただきます。ご一読下さい。


黄月の暮らす町でも桜が見ごろです。毎年桜の咲く頃になるとカメラを持ってポンコツ君で遠出していた黄月です。でも、今年は多忙で仕事場との道中の桜を楽しむくらいしか余裕がありません。でも、今年も桜は綺麗に咲き誇り、黄月の心を癒してくれます。

黄月は桜の季節になると伊勢神宮へお参りしたくなるのです。春は毎年再出発を意識させてくれる大切な時期なのです。今年も4月に伊勢神宮参拝を計画しています。伊勢神宮と桜は黄月の心の故郷であり、出発点でもあるのです。

春になると黄月はとても涙もろくなります。春は2人の大切な人を見送った季節だからです。黄月の人生を変えた大切な人、そして父親を見送りました。過去を振り返るのは好きではありませんが、この時期だけはどうしても思い出と語らいたくなるのです。

毎日の忙しさの中で時折、何かを見失っている?何か大切なことを忘れている?と気になることがあります。そんな時は立ち止まって宝探しを始めます。以前ならば忙しいから立ち止まる暇はない、立ち止まっているとその間に誰かに追い抜かれると不安で仕方がなかったのです。ですが、忙しいなりにも周囲の人様に良い評価をされて、人様のお役に立てているかもしれないという安堵感を感じられる今は立ち止まることは怖くなくなりました。

宝探しをするには心に余裕が必要です。がむしゃらに動いてばかりいては心はかちんこちんにかちばります。そのことは充分に知っていても、実際には動き回るよりも立ち止まる方が勇気がいるのです。黄月もサラリーマンです。働かなければご飯を食べることができません。でも働くしかないというようには考えていません。

働くことは苦にはなりません。働くこと自体が今の黄月にとっては趣味のような感覚になっています。働くことは辛くてしんどいことですが、その為に何かを犠牲にしているように錯覚するからそのように悪く考えてしまうのです。

毎食を喜びの中で戴き、仕事をさせてもらえることに感謝すれば、どんな辛い苦しい仕事にも喜びは感じることができるのです。黄月は最近仕事が趣味の域に入って来たな、と密かに喜んでいます。働くことに喜びを感じることができれば、これ以上の幸せはないと友人(僧侶)は言いました。好きなことをして人様のお役に立てる、人様を支えることができるなんて本当に素晴らしいことです。心と魂と肉体のバランスを保つ為には最高の生きる道であると黄月は思います。

毎日毎日同じ一日が与えられている訳ではありません。同じ仕事を反復させられている、毎日上司からお小言を聞かされて辛いと考えている人様は物事の見る視点を変えなくてはいけません。同じ視点で同じ感覚で物事や人様を判断するから、毎日毎日同じようにしか過ごせないのです。人様は人様、自分は自分と割り切って自分が日々進化していることを意識して下さい。誰でも心は過去に戻れても肉体は過去には戻れないことを強く意識して下さい。今は戻って来ないのです。一瞬一瞬を大切に過ごして下さい。

最近の黄月のマイブームは読書と音楽鑑賞です。欲張りな黄月は骨伝導ヘッドホン音楽を聴きながら人様と会話をし、そして本を読んでいます。仕事場でも正規の勤務時間が終われば音楽を聴きながらお菓子を食べながら、仕事をしています。以前のようにイライラしながら仕事をすることが嫌になったのです。イライラしてこなせる仕事量と余裕を持って楽しみながらこなせ仕事量を自分なりに比較してみたのです。

すると結果は全く同じでした。イライラしながら仕事をしていると何だか自分が惨めに思えます。『何で黄月だけが残業しないといけないの、何で黄月だけがこんなに辛い目に遭うんだろ。』と心の中で愚痴をこぼしてしまいます。

何でも人様以上にやらないと気が済まないのは黄月の我侭です。人様と自分を比べてしまう癖は一生治らないでしょうから、自分で何でも人様以上にやろう、それについて人様を責めないようにしようと心に決めている黄月です。ですがまだまだ未熟者ですから、時には迷いと憂いの中にどっぷりと浸ることもあるのです。

黄月は辛い時期に音楽を聴くことで随分と助けられて来ました。辛い苦しい悲しい気分の時は、人様の励ましどころか声も聞きたくないと感じる黄月の心を癒してくれたのは音楽なのです。そして気持ちの切り替えをさせてくれたのが勉強することと読書なのです。ストレスが溜まればやたらと読書をして気持ちを切り替えます。

そしてその読書の中からたくさんの学びと智慧を得ることが喜びでもあるのです。読書の中に生きるヒント、再生のポイントを見つける黄月です。黄月は1冊の本を読むのに1時間かかりません。本屋さんで丸1冊を立ち読みするくらい速読できます。ですが黄月にとって必要な本は本屋さんの棚の中から『お家に連れてって』と言わんばかりにアピールをして来ます。

そしてじっくりと読み進めると何らかのヒントやひらめきへと繋がるのです。仕事の辛さ苦しさが読書の原動力となっている?=読書は生きることの原動力?ならば仕事しているからこんな素晴らしいヒントやひらめきが得られると素直に喜べる黄月です。

読書だけでなく仕事に打ち込める原動力となる何かを見つければ良いのです。仕事をしっかりと楽しめる何かを探して下さい。それは幸せ探しをするよりもきっと容易く、得るものも大きいことでしょう。

恋愛や買物やギャンブルに依存するならば、仕事に依存することの方が安全で健全だと思います。そして仕事を趣味にすることができれば、一日中楽しく喜びの中で過ごせます。こんなに素晴らしい生き方はないと思います。以前は仕事を趣味にするなんてナンセンスと考えていた黄月です。ですがそれなりに長くサラリーマンを続けているとそれなりに知恵も身に付きます。それなりに世渡りも上手になって来ました(笑)。

若い人様たちに仕事が好きになって欲しいと願っています。仕事は苦しい辛いだけではありません。自分と大切な人様の糧を得る為の大切な手段であり、大切な人様を幸せにする為の唯一無二の方法なのですから。黄月には大切な人様がたくさん居ます。その人様の幸せの為に、その人様を幸せにすることが黄月の生き甲斐なのです。苦しみ辛さをそのままの苦労として受け取るよりも、大切な人様への奉仕、慈愛を実践しているのだと考えればそれは喜びであり不苦労と思えるようになるのです。

恋愛や愛情では人様を救うことも幸せにすることもできません。人様を救えるのはそして幸せにするには慈愛の精神しかありません。大切な人様の為に耐える精神もまた慈愛の精神なのです。人様を幸せにするにはまず自分が喜びと楽しみを感じていなくてはいけません。喜びや楽しみを探し回るよりも、目の前にある身近な現実自体を喜びや楽しみに替える模索をしてみるときっと面白いと思いますよ。
posted by kougetu at 23:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

人生の歯車。

こんにちは、黄月です。今日は〔人生の歯車〕について書かせていただきますね。

黄月はよく上手くいく流れに乗る、時流に乗るという言葉を使います。上手くいく原動力は、歯車を回す力、物事を動かす力なのです。「人生の歯車が狂った」と表現される人様がいます。その感覚は間違いないのです。

昔は黄月も人生や運を歯車に例えるな、と考えていました。それは人生そのものを歯車だと勘違いしていただけのことなのです。人生と歯車は別物とお考え下さい。人生を好転させる、人生を暗転させる車輪が〔人生の歯車〕なのです。

人生を客観的に見ることはとても難しいことです。自分の人生となれば必ず偏った見方しかできないのが当たり前です。自分の人生をどう評価するか?自分の人生を評価する必要はないのです。生きた自分の人生を評価するのは人様であり、生きた自分自身ではないということを忘れないで欲しいのです。

ただ、一生懸命に歯車を回す(精一杯生きる)ことだけを考えれば良いのです。誰にも自分の将来は見えません。混沌とした不安定な現在を生き抜くには気持ちの切り替えが大切なのです。今に捉われ過ぎず、未来に翻弄されずに生きるだけ、それだけで充分なのです。

此岸(現世)に生きている、生かされていること自体が修行なのです。その修行を精一杯楽しめるだけの心の余裕をお持ちいただきたいのです。その為には心の余裕を導き出す必要があります。自分の人生を辛い苦しい悲しいと感じている人様に、どうすれば心豊かに、心穏やかに生きていただけるかを最近よく考えています。

そして一つの導きを得ることができました。それが〔人生の歯車〕の回し方なのです。黄月は霊的真理を現実世界で役立たせたい、人様の苦しみを軽減したいと願っています。

人生自体はクルクルと回ってはいなのです。回っているのは歯車の方なのです。歯車は人生を動かす原動力であり、物事を動かす機動力でもあります。歯車がゆっくり回れば波風も少ないと感じます。境涯の高低に関係なく変化を感じられないと不満を感じるでしょう。歯車が激しく回れば変化が激しく慌しくそして余裕が無いと感じるでしょう。ひたすら走り続けている状態でいつかは歯車は壊れてしまいます。

そして歯車が何かの反動で逆回転し始めれば過去へ心が向かい、過去に縛られたり、後ろ向きに人生が動き始めます。歯車の回転速度、回転方向を決めるのは心なのです。心が歯車の動きを支配しているのです。人生が上手くいかない、どんなに頑張っても報われないと感じている人様にお願いするのは、まず心の管理をされることです。

自分自身の心の状態を良く知ることです。そして僻みや歪みやひねくれを退治することです。自分自身にしっかりと向き合って、自分自身をしっかりと受け入れることから始めて下さい。どんなに綺麗な魂を持っていても、心がひねくれていれば人生上手くはいきません。それ程此岸(現世)で生きることは楽なことでなく、単純なことではないのです。

私の友人にもとても綺麗な魂を持った人様が居ます。ですがその綺麗な魂を覆うのはひねくれた心です。ひがみ、ゆがみ、ひねくれが心を支配しています。責任転嫁、無責任、自我主張の強さが人生を上手くいく流れから外れた道へと進ませているのです。どんなに頑張っても報われない、どんなに頑張っても人様の評価も上がらず、良縁と結びつかないしんどい人生を送るしかないのです。

自分自身の人生が辛い苦しい悲しいと感じるならば、此岸(現世)で生きる掟に自分自身の心がズレている?そのズレの程度は?どうすればそのズレを解消できるか?を考えて欲しいのです。『誰も自分のことだけで精一杯です。人様のことまで考える余裕はないのです。』とある僧侶は言いました。その通りだと思います。

ですがその通りだと割り切ってしまえば、心と魂の成長と向上は望めません。自分自身も大切だけど、人様も大切だと考えられるようになると、喜びも楽しみも倍増します。そして苦しみ悲しみは分け合えるので半減するのです。

人として此岸(現世)に与えられたのですから、人として精一杯生きるという選択肢がベストであり、それが自然のながれなのです。虫や魚や牛などの人以外の命は精一杯生きるという感覚はありません。精一杯生きることが当然でありその他の選択肢を考える余裕さえないのです。きっとその方が幸せなのでしょうけどね。

ですが人として生まれた以上、人らしく、人として精一杯生きるしかないのです。何も考えなくて良いのです。自我と欲をきちんとコントロールすることができれば、人生は一瞬で好転します。人や霊や物事物品などに振り回されているから人生が辛くなるのです。

人や霊や物事物品のない場所で生きることなどできません。それらのモノと関わること自体が修行なのですからそれを望むことは大きな間違いなのです。人として精一杯生きること、つまり歯車をどう回すか?それだけを考えて欲しいのです。

霊的感覚の優れた人様でなくても、歯車を感じることはできます。歯車を回す力は『気力』なのです。自分自身でもそれを感じることはできます。特別なスピリチュアルな感覚を要しない、自分自身に自問自答できる部分なのです。気力が萎えた、気力が落ちた、ストレスが溜まっていると感じる人様は歯車を回す力が落ちているのです。歯車を回す原動力と機動力を回復させる必要があるのです。

そして忙しい、休み暇がない、何だか動いていないと落ち着かないと感じる人様は歯車の回転速度が速くなり過ぎています。適度なレベルに戻さないと心と身体が壊れてしまいます。自分ひとりがどんなに頑張っても、どんなに命を削ってもできる事はたかが知れています。自分自身で全てを背負い込まないで下さい。ちょっとだけ競争心を抑える、スタンダード(標準)を意識してみる必要があるのです。

心の管理をしっかりと行い、歯車の速度を適正に保つことができれば、境涯の高低や人や霊や物事物品に振り回されることもなくなります。自分自身を与えられたエリア(運命)の中でどう楽しむか?それだけを考えて欲しいのです。

〔人生の歯車〕の動きは狂っても修正はできます。狂ったまま生きる必要はないのです。修正することを忘れてはいけません。苦しい辛い悲しい状況に慣れ、修正向上することを諦めたり、辞めてしまうから修正しようとしても時間がかかってしまったり、邪魔が入ってしまうのです。

〔人生の歯車〕をいかに上手に回し続けるか?それが一番の人生の課題です。プラス思考だけで世渡りはできません。しっかりと心の管理を行い、上手に〔人生の歯車〕を回すことが上手くいく流れに乗る、時流に乗る為の原動力であり、機動力なのですから。
posted by kougetu at 13:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

働くということ。

こんにちは、黄月です。今日は〔働くと言うこと〕について書かせていただきますね。

黄月は久しぶりに過労でダウンしました。気功と霊的修行で心身共に充分に鍛えているから大丈夫と奢っていました。人様を厳しく指導する立場であるからこそ、自分には甘えは許されないと考えています。だからこそ、限界を越えても働くしかなかったのです。

せちがらい世の中です。辛くても苦しくても我慢をしてご飯を食べる為に働いている人様がたくさんいらっしゃいます。黄月も現実世界で仕事をして得たお給料でご飯を食べ、命を明日に繋いでいる身の上です。

苦しい辛い状況の中で貧困と窮屈と戦う人様の気持ちは痛いほど分かります。比較的医療業界はまだ経済下降の影響は少ない方だと思いますが、確実にリストラや経営改革の波は押し寄せて来ているのです。

黄月もその波に乗り遅れることのないように、その波に飲み込まれることのないようにと日々頑張っています。全てはご飯を食べる為、命を明日に繋ぐという大仕事を完結させることだけを考えて頑張るしかないと思うのです。

どんなに苦しくても辛くても、ご飯が食べれて雨露を凌げるだけで充分幸せだと思わせる、現実が目の前に広がっています。

連日メディアで放送される非正規労働者問題、世界経済悪化情勢、そして凶悪犯罪増加問題。今年になって一段と現実世界の終末観が強まりました。

現実世界で両の眼を開いて見る世の中は眼を覆うばかりの惨状です。ご飯が食べられない人様、住処を失った人様はこれからも増加の傾向は止まりません。生活保護の申請にも限度があり、比較的恵まれた労働者層が困窮者を支えるにも限界はあるのです。

一つだけ言わせて下さい。黄月は病院で働いています。辛い汚い過酷な状況で働いている看護職、介護職の職員の様子を毎日観察していて思うことがあるのです。彼らは言います。『職種を選ばなかったら、仕事はあるのにね。私たちと一緒に働いたら良いのにね。』。

そうです、病院施設の看護、介護現場の職員は未だに不足しているのです。いつでも求人募集を出している状態なのです。辛い汚い過酷な仕事は敬遠されるのです。でも本当に働きたい、生きて行きたいと思うのであれば、仕事を選り好みするよりも、自分が出会った仕事を天職にまで引き上げる努力をすべきだと黄月は思うのです。

ヘルパーさんが言いました。『辛い汚いと思うのは最初だけだよ。こんなにやりがいのある仕事はないし、とても楽しい仕事だよ。充分に生活できるからね。』。

Hヘルパーさんはリストラで前職を解雇されています。事務職を探していたそうですが、1年経っても仕事が決まらなかったそうです。ご飯を食べること、とにかく生きて行くことだけを考えて看護助手の仕事を選んだと言います。その結果、今では笑って仕事を探している人様に一緒に働こうよ、と言えるようになっているのです。

分相応の範囲内で生きること、自分の立ち位置を知りそれに合った仕事を探すことは大切なことです。派遣職員でなくても正規雇用者であっても、いつリストラされるか分からない時代です。だからこそ、いつでも柔軟にその状況に対処できるように手立てを考えて置く方が利口です。あり得ないことが起こるのではなく、あり得るからこそ起こる前に考えて置かなくてはいけません。

自分だけは大丈夫、自分だけは心配ないとは決して考えてはいけません。もし自分が窮地に立たされた時にはどう凌ぐか、将来に向けて真剣に考える時期が来たのだと真摯に受け止めるべきなのです。

黄月の職場も人員不足です。人員不足の原因は職員の質の低下を防ぐ為に、職員の選定に慎重に取り組んでいることです。無責任で無思慮な職員はいりません。そのような職員を雇うのならば、黄月は何人分でも働いた方がマシだと考えています。最近は良い人材に出会う方が難しくなっているように思います。

黄月は、中途半端で無責任な職員を妥協して雇うことはありません。それはどこの職場でも同じだと思うのです。今だからこそ、無駄な人員配置をする余裕はどこにもないのです。自分が職場にとってどのような存在であるかを正規社員も考えて欲しいのです。

『退職して下さい。』と声をかけられて慌てるよりは、そのように声をかけられることのないようにしっかりと自分の居場所をキープすることです。パラサイト・ワーカーにならないように、そして自分の評価をしっかりと向上させることが我が身を守ると言うことなのです。

非正規労働者問題だと甘い考えを持たないことです。現実に便乗リストラや便乗減給が起こっています。黄月が経営者ならば、この機会に経営自体の見直しをするでしょう。そして会社にとって不利益となる、将来不利益となりそうな芽は早期に摘み取っておこうと考えるでしょう。

便乗リストラ、便乗減給だと不満をもらしても現状は変わりません。経営者にとって一番大切なことは、継続の2文字なのですから。便乗するにはそれなりの理由があります。便乗せざるを得ない状況があるのです。

生きるということはご飯を食べて、命を明日に繋ぐことです。どんなに苦しくても辛くてもひたすら生き抜くことなのです。時には理不尽と思われる状況にその身を置かれるかも知れません。でもそれでも生きて行かなくてはいけません。



posted by kougetu at 16:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月01日

お金で買えない幸せ。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

激動の2008年も終わり、再起の2009年が始まりましたね。みなさまにとってこの1年が実り多き1年となりますように、心からお祈りさせていただきます。

黄月は1年の初めに必ず2文字でイメージを起こします。今年は『再起』の2文字を強くイメージしました。波乱万丈の波風の中で強く逞しく生き抜く姿、人々が活き活きと活動する姿を見たいと願っています。

紅白歌合戦を家族で見ました。例年のような活気は見られず、経済危機や景気悪化に苦しむ人様に配慮したような静かな展開のように感じました。黄月の一家は比較的安定した生活を営めてはいます。ですが、黄月を始め皆が憂いを抱えて大晦日を迎えました。

黄月一家レベルで考えると、さほど景気悪化でマイナス影響を受けている訳ではありません。特別な出来事は無いものの、少なくともいつもの年末のように楽天的な未来展望を持てていないのです。何があるわけでも無いのに、漠然とした不安感を抱いているのです。何が不安なの?って聞かれても答えられないような、言いようの無い不安感なのです。

姪が言いました。「何でこんなに心配になるの?」。言いようの無い不安感を抱いているのは大人だけではありません。学生であっても強い不安感、焦燥感を抱いているのです。黄月は姪の質問に即答できませんでした。黄月自身もこの疑問を抱いているからです。

黄月はいつものように給料を貰って、ボーナスを貰って、お年玉を用意して、お正月グッズを買い揃えて年末年始を慌しく過ごしました。でも何かが違っていました。そうです、無意識に買い控えしていたのです。金銭出納帳を記帳していて気づいたのです。

年末になると、去年はこのくらいの贅沢はOK!と思えたことが今年はNO!と判断していたのです。せちがらい世の中、生き難い時代だからこそ貯蓄は大切です。ですが、貯蓄に焦点を置いた生活よりも、分相応な生活をして余ったお金を貯蓄に回す方が精神衛生上良いことを黄月は知っています。だから激動の時代だからこそ、変わらない勇気、変えない信念を持ち続けることは必要なことです。

甥が言いました。「世の中不況不況と言って、子供までも不安に陥れてる。お年玉貰えるか心配で眠れなかったよ。」。嬉しそうにお年玉のぽち袋を開封している甥の口から出た言葉です。

黄月も甥と同じ考えを持っているのです。不況不況、経済急降下、景気悪化等の言葉に過剰に反応し過ぎているように感じるのです。漠然とした不安、得たいの知れない不安感をやたらと子供にまで与えて良いものか?と考えているのは黄月だけではないと思います。

元旦の朝を迎え、友人の子供たちにお年玉をあげました。正確に言うと、元旦の午前中に毎年お年玉集金子供隊が我が家に進軍して来ます(笑)。黄月はいつものように全部のぽち袋に3千円を入れて用意しておきました。ぽち袋を受け取った子供たちは大喜び。お札の枚数を数えて「ヤッター!いつもと同じ!!」と口々に言っています。

友人は景気が悪化して夫の給料が下がりそうだから子供たちにお年玉をあげられないと言いました。贅沢は禁物、子供にもちょっとは我慢して貰わないといけないと考えているようです。

「ん?下がりそうだから?そんなことを理由に子供たちに我慢させてるの?」と黄月は思わずツッコンでしまいました。友人は大きな病院看護師です。今年は例年以上に高額なボーナスを受け取っています。そのことを知っている黄月は合点がいきません。

「先行きが不安なのは皆同じだよ。だからと言って子供たちにまで不安と不満を分け与えたらダメだよ。子供たちは敏感だからね。」と言葉を着け加えて置きました。

友人たちが帰った後で、友人の子供の一人からメールが届きました。『明日はみんなで動物園に行きます。楽しみ。』と喜び溢れる内容のメールが届きました。不況だから何処にも行けない行かないと友人は言っていました。友人の不安は黄月も共有する不安であります。友人の気持ちは理解できます。だからと言って、不安だから何もしない方がもっと不安になることを友人は理解したようです。

贅沢をしなくても良いのです。子供たちの喜ぶ顔を見ることを友人は選んだのです。お金をかけなくても喜び楽しみ嬉しさを感じることはできます。黄月は友人の長男坊にもう一つのぽち袋を持たせました。それは黄月から友人へのお年玉です。子供たちと同じように3千円を入れておきました。ぽち袋に『幸せはお金では買えないよ。』と一言書いておきました。

明日の夜には友人の子供たちから楽しかったよ報告のメールを貰えるかな、っと楽しみにしています。幸せはお金では買えません。お金よりももっと大切なモノがあるのです。それは友人にとっての子供笑顔、喜ぶ姿であるように、それぞれの人様の幸せはそれぞれ違っています。

黄月は幸せだと思います。家族に『あんたはお年玉をあげ過ぎっ!!』と今朝も叱られました(笑)。自分の為に使うお金も大切です。ですが人様の幸せの為に使うお金があっても良いと黄月は考えています。幸せだからこそ、人様にも幸せになって欲しいと願っています。

周囲の人様から見れば、おバカさんで特異に見えるのでしょうね。でも黄月は黄月のままで今年もフルタイム4WDで頑張ります。ありのまんまの黄月、そのまんまの黄月で今年もブログを書き続けたいと考えています。
posted by kougetu at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

2008年の想い。

こんばんは、黄月です。今夜は〔2008年の想い〕について書かせていただきますね。

月日の経つのは早いもので、波乱万丈の2008年も1週間で終わろうとしていますね。黄月にとっても2008年は多忙で波風多き1年でした。

今年は地固めの年と自分に言い聞かせ、ひたすら我慢を続けました。やっぱり黄月には波乱万丈の人生を与えられているんだ、と再確認させられました。でもたくさんの経験に助けられ、終わって見れば飛躍の1年だったのかも?と笑い飛ばせるだけの余裕が残っていました。

波乱万丈の人生だからこそ、その人生の一瞬一瞬を大切に過ごしたい。苦しい悲しい辛い人生だからこそ、ささやかな幸せや喜びに気づき、たくさんの人様に支えられていることに感謝できるのだと思うのです。

黄月も人生の折り返し地点と言える年齢になりました。人生前半は波乱万丈の波風に振り回されることが多く、苦しい悲しい辛いという想いとの戦いでした。ですがその想いも徐々に薄れ、苦しみ悲しみ辛さのレベルは同じであっても、それを上手にやり過す手管を身に着けられたことで随分と生きやすくなりました。

人様に振り回される、霊に振り回される。そして自分の念で自分自身をがんじがらめに縛り着けて生きることはとても辛いことです。できるならば何事にも惑わされず、振り回されず、そしてマイナスの影響は最小限に留めたいと誰もが願うことでしょう。

波乱万丈の波風を避けるのではなく、波乱万丈の波風に乗りつつも、上手く行く流れに乗り境涯を引き上げることができれば、霊性の向上、霊格の向上へと繋がるのです。苦しみ悲しみ辛さの向こうにあるのは、豊かで穏やかな道のりなのです。

苦しみ悲しみ辛さを喜び楽しみに替えることはできます。黄月は苦しみ悲しみ辛さの壁に突き当たった時、『負けてたまるか!コノヤロー!!』と心の中で叫びます。そしてその苦しみ悲しみ辛さを乗り越えた時の自分自身を想像してみるのです。光輝く自分自身をイメージしてみるのです。そして満面の笑顔の自分、勝ち誇った姿をしっかりと心の中に刻み込むのです。

黄月は現実世界で決して裕福ではありません。はっきり言ってワーキングプアの分類に入るかも知れないくらい安月給ですが、それなりの生活は成立しています。分相応の生活を心がけて決して贅沢はしません。一度生活レベルを引き上げると、落とすことは大変です。不平不満やストレスが溜まる原因となるのです。だからこそ、給料の多少等により生活レベルを変えることはしないのです。

黄月は朝5時前に起床、6時15分には軽自動車に乗って仕事に向かいます。朝7時15分から夜20時過ぎまで仕事をしています。残業時間は毎月100時間を超えています。日曜日も殆ど仕事場に出向きます。辛い時、苦しい時には『人様のお役に立つこと、人様に必要とされていることに感謝感謝。』と自分に言い聞かせています。

こんな生き難い時代だからこそ、黄月は上手くいく流れに乗り、境涯を引き上げ、豊かにそして穏やかに暮らしたいと願っています。その為に今の生活を死守する為にひたすら働いているのです。苦しい悲しい辛いと嘆くことは簡単です。ですが、それでは時流に飲み込まれてしまうのです。

来年はもっと社会情勢は厳しくなるでしょう。苦しい辛い悲しい時代だからこそ頑張るしかないのです。それでも生きて未来へと進むしかないのです。黄月も頑張っています。みなさまも是非頑張って下さいね。
posted by kougetu at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

チキンレースの向こう。

こんばんは、黄月です。今夜は〔チキンレースの向こう〕について書かせていただきますね。

黄月の暮らす町ではガソリン低価格戦争が続いています。1リットルなんと91円のガソリンスタンドもあります。そうです、ガソリン最安値の高知県のお話です。

黄月のように遠距離通勤等でガソリンを多く消費する人様にとっては嬉しいお話です。一時の高価格よりも1リットルで80円以上も値下がりしています。でも、『バンザーイ!!』と手を上げて大喜びのできないのが黄月です。

高知県は景気がとても悪い地域です。貧困と低賃金に喘ぐような地域なのです。本来ならばガソリン低価格戦争などするべき地域ではないのです。生死を賭けてまでも低価格戦争に便乗しなくてはいけない経営者の皆様の心中を考えると胸が痛くなるのです。

黄月の通うガソリンスタンドの店長のぼやきも既に悲鳴に変わっているのです。黄月は1ヶ月に7回〜8回給油に行きます。この1ヶ月間は給油に行く度に価格が下落していました。そして昨日ついに91円。

低価格に喜びはしゃぎながら給油するカップルの姿。その気持ちも良く分かるのですが、黄月は喜べません。

厭でも、命を賭けてチキンレースに参加しなくてはならない経営者の辛さが分かるからです。黄月も病院管理職です。それなりに病院経営に携わっています。医療関係も厳しいのが現状です。時には厳しい評価査定をして、給料や賞与を下げることもします。

ガソリンスタンドが捨て身で「今」のことしか考えられない状況にあること、将来の展望にまで気持ちが回らない程、追い詰められいる現状を目の当たりにすると、どうしても人事には思えないのです。どの職場であっても同じことは言えます。

黄月の勤める病院では今、ボーナスの支給計算の真っ最中です。支給してもらえるだけで感謝しなくてはいけないと思うのです。ですが、やはり不平不満を垂れ流す輩が多く、その輩の口を縫い付けてやりたいと思うくらいです。

使用人には使用人の言い分があるでしょう。ですが経営者にも経営者の言い分があります。このご時世に精一杯の誠意を見せようと頑張っている経営者の努力を決して軽く考えてはいけません。共に苦しんでいるのです。

非正規雇用やリストラの問題がニュース番組で大きく取り上げられています。派遣社員や職員をリストラする企業にだけ責任があるのではありません。確かに便乗リストラを行なう企業もあるかも知れません。ですが、冷静に考えれば便乗しなくてはいけないだけの理由があるのです。

人はご飯を食べる為に働きます。働いて得た給金でご飯を食べさせていただくのです。ご飯の源は何ですか?そうです、仕事なのです。仕事があって始めてご飯が食べられるのです。

黄月が言いたいのは、ご飯の源の仕事をもっと大切に考えて欲しいと言うことです。仕事があるだけでも感謝、給金をもらえるだけでも感謝しなくてはいけません。決してそれを当たり前と考えてはいけない時代になったことをもっと真剣に受け止めて欲しいのです。

黄月も管理職と言っても安月給です。だからこそ決して贅沢はしません。安月給でもそれで現在と将来の生活を成立させなくてはいけないからです。贅沢品等を買っている時代ではないのです。

何よりも先ず考えなくてはいけないことは、憂いを引き受けるより、憂いを回避することです。つまり、贅沢をして給金を使い果たすことよりも、質素倹約を心がけて貯蓄をすることなのです。

今よりももっと経済情勢は厳しくなるでしょう。高知県のガソリンチキンレースもそろそろ終止符が打たれることでしょう。どれだけのガソリンスタンドが生き残れるかは分かりません。既に倒産に追い込まれたガソリンスタンドもありますから。

命を賭けてでも今を守ることは大切なことだとは思います。ですが命を賭けるだけの価値があるか、勝ち目のある戦いかどうかを考えて挑まなくては、憂いを引き受ける行為に他ならないのです。

経営者も使用人ももっと利巧に、そしてもっと長いスパンで物事を考える癖を身に着ける必要があります。

経営者は今を守ることも大切ですが、継続することを一番に考えること。そして使用人は不平不満を垂れ流すよりも、自分の命の源である仕事をもっと大切に扱って下さい。

どうにもならない時代であっても、みなさまがその流れに飲み込まれることのないように生きていただきたいと黄月は願っています。
posted by kougetu at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする