2008年05月06日

求め過ぎ症候群。

こんばんは、黄月です。今夜は〔求め過ぎ症候群〕について書かせていただきますね。

黄月の周囲にも多種多様な依存症で苦しむ人様がいます。タバコやギャンブルや恋愛等、そして人様にやたらと求め過ぎる人様たちがいます。

誰よりも愛されたい、自分の気持ちを分かって欲しい、誰よりも幸せになりたい、と限りなく自我と欲望を人様に向け続ける人様が増えています。これは子供の話ではありません。大人の話なのです。

自分が幸せになる為には人様に我慢をさせることも厭わない、そして人様の人生を自分の人生の犠牲にすることを悪いこととも考えない実に幼い思考です。

最近はやたらと恋愛相談が増えました。恋愛が人生の全てと勘違いされている人様さえいます。恋愛とは何ですか?と質問をすると直ぐに『幸せになること』と答えが戻ってきます。確かに恋愛は幸せになる為に人様とご縁を結ぶことです。ですが恋愛はひとりではできません。大切な愛しい人様とご縁を結ぶことでありますから、相手の立場や気持ちも大切にしなくては成立しないのです。

自分が幸せになりたいから、自分の幸せの為に犠牲になって下さい。あなたは私の物です的発想で恋愛をすれば、相手を知らないうちに傷つけたり、相手の気持ちが離れてしまうのです。人を愛するとは、全てを受け入れて相手を幸せにすることを意味します。自分の為に人様に苦難や試練を強いることではなく、自分の全てを大切な人様に差し出すような気持ちでお付き合いをして欲しいですね。

よく失恋した後でも、諦めることができなくてストーカーになったり、相手のことを想い続けて心を痛める人様がいます。その原因は恋愛依存そのものです。人を愛することはとても素晴らしいことです。ですが、大切な人様の全てを自分の物のように勘違いして、自分の想い通りになることに幸せを感じてはいけないのです。

最近は恋愛依存症から〔求め過ぎ症候群〕にまで心の状態が悪化した人様が増えたように感じます。恋愛依存症ならば恋愛のレベルの問題だけで済むのですが、〔求め過ぎ症候群〕は恋愛のレベルに限らず仕事を含む日常生活まで人様に依存する状態を指します。

何もかも自分の思い通りになることが当たり前、自分の思い通りにならないことがあると心を病み、人様に攻撃したり、穴に篭ったりと利己的発想で人様を振り回します。仕事で失敗をすれば上司や同僚のせいにしたり、失敗をしたことを反省しないまま問題を摩り替えて感情的な言動を繰り返す人様もいます。

世の中は自分中心に回っていないことは知っているでしょう。ですが自分中心に回って欲しいと求め過ぎるのです。人様には人様の人生があることは分かっているのですが、自分の為にちょっとは我慢して欲しいと求め過ぎるのです。このような思考は周囲の人様を振り回し、人様の気持ちを逆撫でします。そうなれば社会生活を上手に成立させることも人間関係の構築にも支障を来たします。

黄月の勤める病院にもこの〔求め過ぎ症候群〕に罹患された人様がたくさんいます。そのひとりについてお話をさせていただきます。とても頭の良い女性(M)なのですが、上司や同僚と協調することが苦手なのです。上司や同僚が意見を言えば全て全否定、人様の意見を聞くことができないのです。そして致命的な点は、人様と共同作業をすることができません。この女性Mは、「私は人と一緒に動けない(働けない)から、人が動き出したら(働き出したら)私は何もしません。」と断言しました。

この言葉を聞いた上司は黄月にどうしよう?と相談して来ました。黄月はこの女性は、性格が悪いのではなく無邪気なレベルであると判断しています。友人としてお付き合いするのならば好き嫌いでご縁を絶つこともできるでしょう。ですが仕事場で同僚として働くにはとても厄介な存在なのです。

一緒に仕事をしていても「これお願いね」「患者さんが呼んでるから行って来て」といつも命令口調で上司でも同僚でも動かします。上司も既にこの女性に期待をしていないこともあり、病院で働いていますから患者さんを優先する為に文句も言わずに動きます。とても奇妙な雰囲気になっています。上司も同僚もとても優しい人ばかりの職場なのです。

数日前の出来事です。黄月は新入りと言っても医療界では経験が長く、今度の職場も指導的立場として病院の経営者に雇われています。ですから新入りであっても堂々と上司でも部下でも指導やアドバイスをします。きっとそれが気に入らなかったのでしょう。上司よりも黄月の方が実務経験が長いこともあり、どんどんと上司が黄月に質問します。すると黄月よりも先にこの女性Mは答えます。

この女性の答えが正しければ黄月は黙っています。ですが間違っていればもちろんその答えを否定し正答を伝えなくてはいけません。上司は「黄月さんに聞いているんだから、ちょっとMさんは黙ってて!」と言いました。」。上司も悪気はなく忙しさと苛立ちでついつい怒鳴ってしまったのです。この女性は机を叩いてその場を離れました。

上司も同僚もこの女性の機嫌を取りながら仕事をすることでとても疲れています。黄月が勤務するまでも、この女性に気を使い、機嫌を取り何とかチームワークを保っていたと聞きました。それも限界が来ている状態なのです。そこに黄月がノコノコと就職して来たのですから、Mさんはきっと面白くないでしょう。

この女性は黄月にはとても好意的です。黄月が経営者に雇われていることはしっかりと弁えているようです。ですが自分の立場が揺らいでいると勘違いしているようなのです。職場の上司も同僚もとても良い人様ばかりです。決してこの女性をイジメたりのけ者にしたりはしていません。ですがこの女性は〔求め過ぎ症候群〕ですから、自分の思い通りにならないことや、自分とは違う意見を言う人様に対しては攻撃するしかないのです。それ自体には悪気はないのです。

この女性は初対面の黄月に言いました。「私は大抵のことは何でも知っているから、何でも遠慮せずに質問してね。」と言いました。黄月はこの言葉を聞いて直ぐに『トラブルメーカーだな』と気づいていました。

この女性Mは職場の数人の同僚を無視しています。その為に若い同僚は時々涙を浮かべて仕事をしていることがあります。そしてその数日後に上司に黄月は呼び出されました。

「誰がMさんをイジメているか教えて下さい。」と上司は質問をしました。「ん?」。そうです、上司は数人の若い同僚がこの女性をイジメていると逆に見ていたようなのです。周囲から見れば集団でこの女性をイジメているように見えたのかも知れません。上司には大体の事情を説明しました。上司もこの女性の扱いに手を焼いているせいもあり、黄月の説明を聞いて納得はしました。

上司に質問の経緯を聞くと、イジメられていると上司に相談をしたのはMさん本人なのです。どれだけ気を使っても、どれだけ奉ってもMさんは満足しないのです。〔求め過ぎ症候群〕も重症であり、周囲にとっては一段と厄介者でしかなくなって来ています。ですが、何度も言いますがとても優しい穏やかな人様の集まった職場です。皆で話し合った結果、これまでと同じくMさんにはできるだけ気を使い、奉ろうと決めました。

これは奇妙な話だと思う人様もいるでしょう。Mさんを離職させることは簡単です。ですが、皆でその簡単な方法は選ばなかったのです。何とか仲良く、何とかMさんと上手く付き合えるようにもっと頑張る選択肢を選んだのです。黄月もホッとしました。Mさんは今までも10社以上の職場を転々としています。転々とする理由はMさんにあるのでしょうが、Mさんはお世辞でも裕福とは言えない境涯にありますから、ここらでしっかりと自分自身を見直し軌道修正して欲しいな、と願っています。

〔求め過ぎ症候群〕は完治は難しいでしょう。Mさんも既に30歳代の後半です。この歳になるとなかなか考え方や生き方を変えることは難しいでしょう。ですができれば人生後半をもっと楽しく穏やかに過ごして欲しいなと願うし、できればその手助けをしてあげたいな、っと黄月は思うのです。人は人、自分は自分。ではいけないのです。
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2008年04月17日

袈裟の色。

こんばんは、黄月です。今夜は〔袈裟の色〕について書かせていただきますね。

黄月は時々、宗教宗派を問わずに説法説教を受けます。宗教に拘らない黄月ですが、様々な宗教人、宗教家のお話を聞くことで見聞を高め、精神世界を広く眺めることができるからです。

もともと宗教に深くご縁のある家庭に生まれた黄月です。小さな頃から仏教神道キリスト教など様々なお説教を受けて育ちました。それで感じることは、昔と今とではお説法説教の内容がかなり変わっていることです。

昔は一日一膳、人様のお役に立つ人生を心がけなさいという内容でした。ですが今は、とにかく個々の尊厳尊重、そしてストレスを溜めない方法論が中心です。これで本当に説法説教?と疑うような講演内容もあります。

宗教人、宗教家までもがスピリチュアルカウンセラーのようなレベルのお話をしています。観客の機嫌を取るのは悪いとは言いません。ですが、人々の宗教離れ、葬式仏教と言われる原因はここにもあると思います。

精神論を語る職業はたくさんあります。ですが正しい宗教論を語ることはその道に精通した宗教人、宗教家でないとできません。昔は神社や仏閣は人様の集合場所であり、悩み相談や癒しを与えてくれた場所でした。ですが、今はとても敷居も高くなり、気軽に出入りできる場所ではなくなっているように感じます。

今日黄月が出席した講演会は有名な住職の説法でした。会場の30分前にはものすごい行列ができていました。黄月もその行列の最後尾に並びました。すると早速年配の女性に話しかけられました。「今日の坊主はみんな位が高い人ばかり。良い話が聞けそうやわ。紫色の袈裟の坊主が偉い人やからよう覚えとき!」。

ん?袈裟の色で話の内容が変わる?黄月はニコニコ顔で「楽しみにしています。」とだけ言って黙って話を聞いていました。袈裟の色やら位やら黄月には関係ありません。地元の住職に勧められてこの講演会に来ただけなのですから。世の中の流れは宗教にもブランド的発想やエリート意識を重ねています。

宗教の中にも階級社会が存在し、内部的にも外部的にもその地位によって存在価値が決まるのです。黄月は僧侶の価値というものを深く考えたことはありません。ですが階級解釈は持ち込むことはしません。

宗教は人様の心の支えになるべきものであり、非日常的世界を正しく伝道し心と魂を正しい方向へ導くべき存在だと考えています。だからこそ、全人生を賭けるに値する存在だと思うのです。黄月は宗教に全人生を賭けることはできませんが、賭けたいと願う人様の気持ちは分からないでもありません。(黄月の見解です。ですが黄月は無宗教者です。)

今日の講演会では初っ端から袈裟の色かあ、と考えさせられました。講演内容はとても素晴らしいものですが、講演中も袈裟の色のことを考えていました。講演が終わり、募金をして会場を出ました。会場の直ぐ近くに有料駐車場があります。そこには殆どの講演出席者が駐車していました。

一度に千人単位の人様が動くのですから大渋滞になっていました。仏教の説法を聞きに来る人様や僧侶たちですから、穏やかに順番を待つものだと思っていたら、ドンドン割り込みが入り、クラクションの嵐。それはそれは慌しい醜い光景でした。その駐車場は15分毎に料金が追加されます。慌てる気持ちは分かりますが、どうにもならない状況でジタバタし人様に迷惑かける行為は許せません。

すると黄月の前にスッと一台の車が割り込んで来ました。見ると黒い衣に袈裟姿の僧侶です。何の合図もなく強引に割り込み、黄月のポンコツ君を抜いた後もまた別の車の前に割り込みを繰り返していました。睨み威嚇しながらの悪意の行為です。

『それでも坊主』なのです。黄月は唖然としながら、『それでも坊主、それでも坊主』と心の中で繰り返していました。そうです。お坊さんは偉いのです。やっとそのことに気づきました。

お寺の敷居が高くなったと言う人様がいます。僧侶がお寺の敷居を高くしたのです。世間人を小ばかにし、自分たちが特別な存在と勘違いしているふしも見受けられます。謙虚に振舞う僧侶が大半だと思います。ですが、このような『それでも坊主』もいるのです。自分たちでお寺の敷居を高くして置いて、「さあ、いらっしゃいっ。」「何で来ないの?」と悩んでいるだけのように感じます。

黄月は宗教は葬式の時にだけ利用するものだと言う人様の気持ちも良く分かります。それだけ非日常的な特別な存在だと感じる気持ちも良く分かります。袈裟の色は世間人には関係ありません。お寺と檀家という関係は特別な関係ではなく、普通に接することができる関係でないといけないのです。

そして僧侶もせめて世間人と同じくらいの常識を持ち合わせ下さい、とお願いします。修業修行と忙しいのは分かりますが、どんな高僧であっても、精神世界だけに存在しているのではなく、その身は現実世界にあることを忘れて欲しくないのです。僧侶を見ているのは仏さまだけではありません。現実世界の目ももう少し意識して行動して欲しいと願います。
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2008年04月14日

メタボの原因。

こんばんは、黄月です。今夜は〔メタボの原因〕について書かせていただきますね。

黄月の回りにもメタボ(メタボリック症候群)に悩む人様がたくさんいます。黄月自身は毎日のトレーニングで何とか罹患は免れておりますよ。

以前に相談者からメタボに関する質問を受けました。「本当に霊を救済すると太るの?」という内容でした。黄月の知り合いの中にもメタボな霊能者(自称?)が居ます。ふとこの男性霊能者のことを思い浮かべてしまいました(笑)。

黄月ははっきり言って霊を救済すると太ると言うのは、ただの言い訳のように聞こえますし感じます。人それぞれに生活スタイルや生活パターンは違っています。自分自身に合った生活ができていないから太るのだと断言します。自分にとって必要のない養分を摂取するから、太るのです。何でもかんでも霊的存在のせいだと考えること自体が実に愚かで、責任転嫁体質であると思いますよ。

あるメディアで有名になったスピリチュアルカウンセラーが霊を救済するから太るんだと言ったことが、この質問の根源だそうです。黄月はマジでこの質問を受け取って笑ってしまいました。この質問をされた相談者さんは真剣に黄月の答えを待っていたのです。黄月も真面目に回答しました。『どうしてこんなおバカな質問をするの?』と黄月は考えました。この質問があの有名なスピリチュアルカウンセラーの口から出た言葉だと知らなかったからです。

黄月は何でもかんでも『霊』を言い訳に利用することは許せません。自分自身の管理ができないことが原因なのに、責任転嫁し無責任にこのような言葉をメディアに乗せるべきではないと怒りすら感じました。

最近の風潮は何でもかんでもスピリチュアル的見解に頼り、自分の未来に何が起こるかもじっと待てない人様が増えています。何が起こるかわからないから未来は待ち遠しいと感じるものですが、何が起こるかわからないから怖くて前に進めないと考え間違いしている人様がどんどんと増加しています。実に情けないことだと黄月は思います。

その原因は過剰なスピリチュアル思考であり、スピリチュアルブームに便乗し、現実世界で生き難い分をスピリチュアル的世界で満たされるべきと教える霊能者の存在が脅威だと感じます。現実世界で生きることが何よりもの修行です。現実世界でしか解決できない問題は、スピリチュアル的世界で解決すべきではありませんし、無論できるはずもないのです。それをさもスピリチュアル的感覚は万能であり、何でもかんでも思い通りになる、と嘯く霊能者を黄月は許せません。

現実世界での不摂生のツケであるメタボまでもスピリチュアル的発想で自分に都合良く、そして無責任な発想で語ることは実に馬鹿げた発言です。普通の霊的感覚をお持ちの人様は、このような愚言を信じることはないと思います。ですが、スピリチュアル的思考に傾き過ぎた人様にとっては、これが間違いであることにすら気づかずに信じてしまうのです。

もっと自分自身をしっかりと見つめて下さい。自分自身の生活スタイル、自分自身の立つ位置、分相応の中できちんとした生活ができているかを見て欲しいのです。その見方にスピリチュアル的見解は必要ありません。しっかりと現実世界を二つの目で見れば充分なはずです。

〔メタボの原因〕は何か?普通に考えれば直ぐに答えは出ます。暴飲暴食を控え、自分に合った運動を心がけ、そしてしっかりと休養を取ることを考えて下さい。黄月の妹は言いました、『メタボになったらダイエットを考えるよ。』。妹の腹部周りの猶予は5センチです。メタボになったら考えると言う妹の言葉を黄月は黙って聞いていました。

〔メタボの原因〕が何かを自分自身で把握し、自分で解決策を考えるにはできるだけ早い方が良いと思います。最近ではサプリメントや飲料でダイエットするだとか、ハードなトレーニングでダイエットするだとかおかしなブームがあります。黄月は『一生サプリメントや飲料を飲むのですか?一生そのキツイトレーニングを続けられるのですか?』と質問します。

サプリメントや飲料は高価であることや、長期服用することへの安全性も確立していませんし、身体に耐性ができれば効果も薄れます。そしてキツイトレーニングは若い時は良いですが80歳、90歳までそれを続けられる訳はありません。一番良いのはきちんとした生活スタイルの確立と、食生活の改善です。もう少し先(将来)を見据えて大人の選択をしていただきたいと願います。

黄月にも辛い過去の経験があります。トレーニングジム通いを始めた頃は、人様以上にキツイトレーニングをしました。筋肉が付き、体重体脂肪も見事に降下。自分でもびっくりするくらいスタイルが良くなりました。ですがそのようなキツイトレーニングはずっと続けることはできません。両膝に無理が掛かるようになり、トレーニングの内容を軽めに変更すると途端にリバウンドが始まりました。

筋肉を使い最大限に代謝を高めることはとても素晴らしいことです。ですがその状態をずっと維持していくことができない時は、リバウンドするのです。黄月はまさかトレーニングしているのにリバウンドするとは思ってもいなかったのです。その過去の経験も踏まえて、継続できるくらいのメニューを心がけています。無理無駄無茶は良い結果を生まないのですから。

メタボ対策として最近は黄月の通うトレーニングジムにもたくさんの若い人様が入会されています。ずっと年配の人様が多くて居心地があまり宜しくなかったのですが、最近はジム全体の雰囲気も明るく変わって来たように思います。〔メタボの原因〕を自分で見つけたら、今度はしっかりと〔メタボの対策〕を行なって下さい。

幸せになる為にはお金よりも健康が大切なのです。健康はお金では買えませんし、不健康なればお金がかかります。メタボになるにはそれなりの原因が必ずあります。現実から目を逸らすことなく、正しい判断と対策をされることをお勧めします。
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2008年04月07日

オドロオドロシイ世界。

こんばんは、黄月です。今夜は〔オドロオドロシイ世界〕について書かせていただきますね。

黄月はとっても怖がり屋さんです。本物のお化けを見ても怖いとは思いませんが、テレビの再現ドラマなどで登場するお化けや人様が殺戮を繰り返すシーンは怖くて目をそむけてしまいます。でも映画シックスセンス』だけは特別な想いを持って鑑賞しました。

テレビ番組スピリチュアルブームは本来の『霊』の姿を誤ったように伝えているように感じます。浮遊霊や未成仏霊はオドロオドロシイ世界に存在してはいません。肉体を持っていないということが私たちと決定的に違っているだけのことです。

黄月は小さな頃から霊を見ていました。母親に「お化けが見えるなんて言っちゃいけません。変人と思われるからね。」と言われ続けていました。霊がちょっかいをかけて来ても助けてくれる存在もなく、またその状況を相談する相手すら居ませんでした。だからこそ自分の感覚をできるだけ研ぎ澄まそうと真剣に考えていました。小学生の頃からとても冷めた目で人も霊も見ていたように感じます。

ずっと昔に『あなたの知らない世界』というお化けの再現番組がありました。黄月はその番組にハマッテいました。夏季のお昼が楽しみでした。再現ドラマなのにとっても怖いのです。友達とキャーキャー騒ぎながら見るのが楽しみだったのです。でも実際のお化けはこんなに怖くないのにどうしてこんな表現になるの?それが黄月の疑問でした。

小さな頃から黄月の回りには色々なお化けがいました。小さな子供たちの霊が家の中を走り回り、お坊さんがお経をあげ、その後ろには軍服を着た男性が立っている。ですが不思議とそれだけでは怖くなかったのです。この小さな子供たちの霊もお坊さんも軍人さんも皆、黄月の家系に纏わる霊だと知っていたからです。

黄月が霊の存在が怖くなったのは、ある霊能者との出会いからです。その霊能者と付き合い始めた途端、霊の存在が恐ろしくてたまらなくなったのです。そしてその霊能者とご縁を切った日から、再び霊的対抗力が蘇りました。今考えるとどうしてこのような経験をさせられた理由は分かります。理由は簡単です。霊的存在に苦しめられている人様の気持ちを知るためだったのです。本当の苦しみ悲しみ辛さを知らないで、人様を救うことはできないからだと知るには時間はそれ程かかりませんでした。

「鉄の女」の異名を持つ黄月です。今でもお化けは怖くありません。怖いのは現実世界の人間の方です(笑)。お化けに振り回されることはないけど、人間に振り回されることは多々ありますし、振り回されたくなくても振り回されてあげないときもあります。現実世界ほど疲れる世界はありません。黄月にとっては〔オドロオドロシイ世界〕はむしろ現実世界の方なのです。

お化けはダメ!と除霊すればことは静まります。ですが人間はそうはいかないのです。厄介な存在なのです。(もちろん黄月も含めて)

黄月の友人の間でよく『オーラの泉』の話が出ていました。あの番組はオドロオドロシクないから皆が気に入っていたようです。『あなたの知らない世界』よりはもっと馴染みやすい番組であり、番組を見ただけでスピリチュアルが理解できたような気分になれるから好まれていたのでしょう。

ですが『オーラの泉』のような綺麗にメイクした世界だけが霊的世界ではありません。霊的世界がさも楽で豊かな世界だと勘違いして、足を踏み入れる人様が後を絶ちません。それが黄月は勿体無く感じてしまうのです。現実世界で生きれる人様が霊的世界に入る必要は全くないのです。精神世界と霊的世界とはまた別な位置にあり、生きたまま霊界にまで魂と心を下げに行くような行為は止めて置かなくてはいけません。

きちんとした霊視や施術(除霊や浄霊など)を行なえる霊能力者は霊視や施術が終わればちゃんと現実世界に帰って来られます。ですが霊能力が低ければ現実世界に戻った〔つもり〕でも、実際は霊界に近い場所に留め置かれる場合があるのです。この状態はとても危険です。これこそが〔オドロオドロシイ世界〕に暮らすことを意味します。

霊能力も霊力もその人それぞれの生き方や役目によって与えられる量が違っています。黄月もたくさんの霊能者を見て来ましたが、本物の霊能力者と呼べる人様はたったの2人しかいません。一人は修験で行をされていた能力者で、黄月が最初に出会い、黄月に「あんたならできるよ、やるかやらんかはあんた次第だけどね。」と言った修行者です。黄月の一筋縄ではいかない気難しい母親もこの修行者のことを今でも神様のように唱えます。そして後一人は、それは言わなくてもいいですね(笑)。

黄月は霊能力者は、霊能力者である前にきちんとした現実世界人であるべきだと思います。どんなに綺麗事を並べても、どんなに偉い施術をされても、その能力者自身の霊格が低ければ人様を救うことはできません。自分で掘った落とし穴や用意された泥濘に足を取られてしまうことになるのです。最近はそのような霊感者が多くなったように感じるのは黄月だけではないと思いますよ。

〔オドロオドロシイ世界〕を語るな、とは申しません。ですが霊的存在に対する間違った表現や異常なまでの恐怖感を植え付けることはとても危険なことだと思うのです。そしてまたその反対に霊的世界を過剰に綺麗な特別な世界だと勘違いさせるような発言も止めるべきであると思うのです。全てのお化けは話せば分かる存在ではありません。鎧(霊能力)も剣(霊的真理)も持たない普通の人様が戦える相手ではないのです。自分自身の心と魂と肉体とをきちんと現実世界で鍛えていないと霊的世界では充分に戦えないのです。

『私は絶対に、〔オドロオドロシイ世界〕へ足を踏み入れていない〔つもり〕!、私の信じる神様は本物!』『私は大丈夫、私は騙されない!』と言い切る前に、ちょっとだけご自分の立つ位置を確認することをお勧めします。
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2008年04月04日

命の期限。

こんにちは、黄月です。今日は〔命の期限〕について書かせていただきますね。

黄月は長い間病院で勤務していました。そしてたくさんの死と向き合う人様の姿を見させていただきました。人それぞれに死の受け入れ方が違っています。最期の瞬間まで生に執着する人様、最期の瞬間を静かに手を合わせて迎える人様。それぞれが最期の瞬間まで精一杯生きていました。

黄月の死生観は割りと淡白です。人は生まれた時から死ぬ時が来ることを理解しておくべきだと考えています。最期の瞬間は必ず訪れるのです。〔命の期限〕を知って慌てるよりは、死を受け入れて生きる方がずっと合理的で楽な生き方だと思うのです。黄月は普通の人様以上に、身近な人様の死や友人知人の死を見ています。それが死生観が淡白になった理由ではなく、霊的真理を素直に受け入れたことにより、死への恐怖が薄れたのではないかと考えています。

人は現世に生まれ出たことに感謝し、そしてまた逝けることにも感謝すべきです。どんなに辛い苦しい悲しい人生であっても、その苦行から逃れることはできるのです。それはひとつの人生を生き抜いた人様だけの特権であり、光に導かれて前に進めるというご褒美を戴ける尊い瞬間でもあるのです。

人は死ぬ為に生きるのではありません。人は魂を未来に繋げる為に生きるのです。そして命を繋げる為にご飯を食べるのです。たったそれだけのことなのです。ですが、このたったそれだけのことを正しく理解しない人様が増えています。自分の〔命の期限〕を有効に活用しようとしない人様がいるのです。

生まれたからには最期の瞬間まで命がけの戦いであることは紛れもない事実です。その戦いを自ら諦めてしまう人様は、来世はもっと重い荷物(カルマ)を背負わされるという霊的真実さえ知らない人様が多いのです。〔命の期限〕は自分で決める必要のないものなのです。自分で決めなくても必ず期限切れの瞬間は来るのであり、その瞬間を穏やかな気持ちで迎えられるようにただ生きれば良いだけの話なのですから。

黄月の母親の口癖は「私は死なない。」です。事ある毎にこういうのです。母親は重度の片付けられない症候群であり、物品の整理や掃除を始め心の中の整理や掃除も苦手なのです。父親を見送った時はさすがに死は逃れられない現実だと気づいていましたが、時が経てばもうその感覚は忘れています。自分は絶対に死なないから、絶対に人様に迷惑をかけることはないと言い切る母親。そういう生き方もあるのだと反面教師的な立場の母親を日々観察する黄月です。

黄月は母親に日々問いかけています。「お母さん、お母さんは死んだら何処へ行くの?逝くべき場所が何処にあるか知っている?」。母親の答えはいつも同じです。「そんなん知らんでも生きていられる。」

人はたくさんの経験や出来事を経ることによって素直さを失うのでしょうか、黄月はたくさんの経験や出来事を正しく受け入れてさえいれば、素直に生きることはできると思います。素直に生きている人様は〔命の期限〕を受け入れ易く、そして生きても死んでも人様にご迷惑をかけないようにと日々配慮して生きています。

人は生きる為に必ず、他人様に迷惑をかけていることを忘れてはいけません。どんなに頑張ってもどんなに気を着けていても、完璧など在り得ないのですから。いつも人様に迷惑をかけながら生かされていると考えて言動すれば間違いはないのです。思い込みが強過ぎては、経験や出来事からの学びは充分に得ることができません。せっかく与えられた学びを湯水の如く流してしまえば、それも人様にご迷惑をおかけしていることに他なりません。

どんなに元気な人様であっても逝く時は来ます。黄月の母親の友人は「死にたくない、死にたくない」と繰り返して逝ったと聞きました。癌の告知は受け入れていたのですが、死は受け入れられなかったのです。最期まで「死にたくない、死にたくない」とわめき家族を困らせたようです。どんなに素晴らしい人生であっても、最期の瞬間の迎え方次第でその人様の生き様は違った受け取られ方をするということを決して忘れないで下さい。母親の友人は世間で言うセレブでした。名誉を手にし、そして経済的にも豊かに暮らしていたはずなのですが、その人生の中には霊的真理を学び考える為の時間はなかったのでしょう。

人は逝くべき道を知らずして、心と魂の修行はできません。人は〔命の期限〕までに学ぶべきことを学び、受け入れるべきことは受け入れていなければいけません。その為に生かせていただいていることを忘れてはいけません。どんなに忙しくどんなに苦しい人生であっても、霊的真理を学び考える時間は必ずあります。その事実を知ろうとしないこと、その事実をおどろおどろしい怖いことだと錯覚していると大切な時間を無駄にすることになります。

母親の友人のデスマスクは今でも覚えています。とても辛い苦しい悲しい何とも言えない不幸な表情でした。キリスト教を強く信心し、誰よりも神様に近い場所に居たはずなのですが、何故か肝心な霊的真理とは無縁の人生だったのです。幸せだったはずの人生が最期の瞬間に崩れ去ったのです。

黄月の母親は、「可哀想な人や。こんなに最期まで苦しんで、牧師さんの奥さんなのにどうしてイエス・キリストはちゃんと助けてあげなかったのやろ?」と黄月に問いかけてきました。黄月は「んじゃ、助かりたくて○○さんはキリスト教を信仰してたの?それこそ思い込みの勘違い者だよ。」と答えたことを覚えています。
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2008年03月28日

生きる権利。

こんばんは、黄月です。今夜は〔生きる権利〕について書かせていただきますね。

また悲しい事件が起こりました。金銭苦から家族を道連れに死を選ばれたのです。大切な家族を死に追いやるほどの生活苦は気の毒に思います。ですがどんな理由があっても、家族を道連れにして良い理由はありません。どんなに苦しくても自分以外の人様の〔生きる権利〕を奪ってはいけないのです。

苦しい悲しい辛い、それは人それぞれに重さは違っています。そしてどんなに低い境涯であっても、人殺しは許されません。家族を残しては死に切れないと考えるのは身勝手な想いです。誰でも自分の人生は、自分で選ぶ権利を持っています。家族の仕業であっても、その身勝手な判断で人生を終えることを望まない人様もいるのです。

よく考えて下さい。自分で自分の命を絶つことと、自分の人生に人様の人生を巻き込むことは全く次元の違う話なのです。自分が死ねば、残された家族が苦しむから道連れにするという痛ましい事件が後を絶ちません。これは家族への愛情表現ではないのです。大切な家族だから残せないと考えるくらいならば、自分も這いずり回って生きてみる道を選ぶべきです。それが本当の愛情表現なのです。

経済的に窮地に立たされると、命で償いをしないといけないような錯覚に陥る人様が居ます。ですが命は償いをする為に存在するのではなく、命を絶つことで償いは完了することはありません。勘違いをしないで下さい。人様に迷惑をかけたと思うならば、とことん生きてその償いをするしか道はないのです。勝手な思い込みで別の道を作り出し、その道しかないと歩き出すことは実に身勝手としか言いようがありません。

大切な家族だからこそ、その命の重さを考えて下さい。人それぞれに違った人生が与えられています。自分の背負った重荷を家族に背負わせないで下さい。道連れにするということは家族にもその重荷を背負わせることに他なりません。せっかく現世に与えられているのです。どんなに辛くても苦しくても、その人生をきちんと完結しなければならないのです。乗り切れない波風はありません。乗り切れるから与えられた試練なのです。

あまりに大きな波風の前にあっては、人は無力であることを痛感させられます。無力であることを知らされるのです。無力であるからこそ、人様に支えられ、人様のお力をお借りして立ち直る道を考える為の大切な時間なのです。何もかも自分だけで背負う必要はないのです。真面目な人様は何もかも自分だけで片付けよう、自分で決着を着けようと焦ります。

自分の周囲を見回して下さい。大切な人様を見て下さい。どんなに苦しくても悲しくても、大切な人様の笑顔まで奪わないで下さい。人は誰でも〔生きる権利〕を生きる喜びに替えることはできるのです。

今の苦しみ悲しみ辛さだけが全てではありません。今を乗り越えられた後の幸せ楽しみ嬉しさまでを奪うことは決して許されることではありません。道連れにするということは、自分の価値観を人様に押し付けることであり、これは間違いなく殺人と言う犯罪なのですから。

見栄やプライドを捨てれば必ず道は開けます。恥を忍んで生きるということは死ぬよりももっと勇気のいることです。ですがその先にあるのは家族の笑顔なのです。何物にも変えがたい大切な命の微笑みなのです。忘れないで下さい。家族を養うということは命を守るということなのです。家族の命を奪う権利まで与えられていると思い上がらないで下さい。
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2008年03月25日

禁煙したい人々。

こんばんは、黄月です。今夜は〔禁煙したい人々〕について書かせていただきますね。

黄月も4年前までは喫煙家でした。1日2箱も吸っていました。でも今は嫌煙家になっていますよ。禁煙に挑戦して9回目で無事に成功しました。2回のニコチンシール療法、ニコチンガムや禁煙キャンディーや松脂を使っても禁煙できませんでした。

医師にニコチンシールを処方してもらって、ニコチンシールを貼っても飲み会の席にあれば吸いたい気持ちを抑えられなくて吸ったこともあります。そして旅行に行けばいつでも何よりも先に喫煙場所を探していました。『小さな箱』に振り回されていました。それが嫌で嫌で仕方がなかったのです。

人様には「禁煙なんて簡単!いつでもできる!」と豪語していました。でも5回失敗した頃から焦りを感じていました。こんなに禁煙できないとは想定外でした。『小さな箱』に振り回されている自分が惨めにも感じました。

8回目のニコチンシール療法に失敗した後、ネットでひたすら禁煙できた人様の体験談や情報を探して読みまくりました。そしてある禁煙フォーラムに参加することができたのです。そのフォーラムは現在は残念ながら運営されていません。フォーラムでのチャット部屋はとてもシビアな話をしていました。

タバコを止めたいという話ではなく、止めなくてはいけない人様たちの会話でした。心臓病、重症喘息、腎臓病、肺ガンなどの人様が延々とタバコの健康被害を語っていました。病院に勤務する黄月にとっては目新しい話ではなかったものの、とても怖いと感じる話ばかりでした。

チャットに参加すると、個別にメールが届きました。一人一人が黄月の禁煙を応援してくれました。厳しい内容のメールなのに、とても温かい想いを感じました。忙しいだろうに見ず知らずの黄月の為に、せっせと長文のメールを下さる肺ガン闘病中の人様も居ました。

チャットとメールのやり取りをしていると、少しずつタバコが嫌いになりたいと思えるような心の変化が始まりました。タバコに依存している自分自身がどんどん嫌いになるのではなく、タバコだけが嫌いになるような感覚です。タバコに振り回されるのがバカバカしく、そしてとても人生の無駄遣いのように考えるようになった時に、9回目の禁煙に挑戦できたのです。

9回目の禁煙に挑戦した時は、全く心構えも準備も必要ありませんでした。目の前にはタバコとライターがあります。なのに、我慢ができたのです。吸いたいと思えば吸える状態のまま1ヶ月が経過しました。吸いたい気持ちを抑える必要さえありませんでした。そして1ヶ月が経過した時に、タバコとライターを処分しました。

それから今まで1本も吸っていません。禁煙して3ヶ月目には人様の吸うタバコの煙が臭いと感じるようになっていました。あれほど何度も禁煙に失敗していたことがまるで嘘のようです。禁煙、禁煙と勢い込んで取り組むことよりも、タバコの健康被害や人様への思いやりの気持ちを深く理解することの方が禁煙は成功します。

黄月はタバコを吸っていた頃より今の方がはるかにケチンボさんになっています。タバコに300円は使えません。禁煙してからは一段と金銭感覚が敏感になったように感じます。300円あれば大好きなソフトクリームを食べてもお釣がありますから(笑)。

黄月の周囲にも禁煙したい人々がたくさん居ます。友人と食事に行くといつも同じレストランになります。喫煙できるレストランでないと友人は嫌だと言います。「最近はショッピングするにも食事するにも喫煙できない場所が多くて大変。何だか肩身が狭い。」と友人は言います。

肩身が狭いならば広くなるように禁煙すればいいじゃん、と言いたい黄月ですがグッと我慢して友人の愚痴を聞いています。それは黄月も長い間タバコという魔物に取り憑かれた経験があるからなのです。

タバコを吸わない人様には禁煙の大変さは理解できないと思います。ニコチンの依存性は覚せい剤以上です。とにかく止めたいと思っても止められないのがタバコなのです。黄月のようにきっかけを掴めれば問題なく禁煙は成功するでしょう。ですがそれほど運良くきっかけを掴める人様は多くはありません。

だからニコチンガムやニコチンシールなどに助けを求めるのです。近年は禁煙外来ができ、医療が禁煙をサポートしてくれます。禁煙に健康保険が適用される時代なのです。ですがどんなに素晴らしい薬剤や治療法が開発されても、本人自身の習慣と癖が改善されないとどうにもなりません。命の次に大切なお金を燃やしているという自覚が生まれないと禁煙は成功しません。

黄月の友人は3年ほど禁煙していた時期があります。ですが仕事のストレスから再び喫煙家に逆戻りしたのです。そしてリバウンドか以前よりも吸う本数が増えたと言います。無理な禁煙をしたらまたリバウンドで本数が増えるかも知れないとボヤイテいます。だから簡単に禁煙には挑戦できないと嘆きます。

黄月は【人体の不思議展】を見ました。ホンモノの人体の標本展です。その会場で何度も同じ会話を聞きました。「この肺の標本見ていると禁煙したくなるね。」「禁煙しないといけない。怖いね。」。そうです。喫煙から肺癌を発病して亡くなった人様の真っ黒く汚れた肺の模型が展示されていたのを見た人様の会話なのです。

黄月もまだ禁煙して4年です。まだまだ肺の汚れは消えていないと思います。ですが今年の健康診断の胸部レントゲンにはとてもきれいな肺の影像が映っていました。以前より濁りのない透明感のある肺です。診断医師も褒めてくれました。「年を重ねる毎にきれいになっているね。」の言葉がとてもうれしかったです。

命は何よりも大切です。どんなにお金を持っていても死んでしまったらどうにもなりません。命を継続させるには健康に充分留意し、自分で不健康になるように仕向けないような気遣いが必要です。

黄月の禁煙を後押ししたメールについて書かせていただきます。「私はあと3ヶ月後には居なくなると思います。私の写真を添付しましたから是非見て下さい。」と黄月に禁煙フォーラム参加者からメールが届きました。そのメールには3枚の写真が添付されていました。1枚目はフォーラム参加者に送られる会員証と運転免許証。2枚目には病院のベッドの上に座りパソコンを操作している姿。そして3枚目にはベッドで酸素吸入のチューブを付けた姿の写真でした。

2枚目の姿は40歳台の普通の何処にでもいるおじさんの姿です。ですが3枚目の姿はひどく痩せ、点滴のチューブがやたらと目立つ姿でした。2枚目と3枚目の写真の撮影日の間隔は僅か3ヶ月でした。病名は肺癌であり、このメールを受け取っても返事は無用と書かれていました。既に自分でパソコンを操作しているのではなく、家族が代打していると言葉が添えられていました。

見ず知らずの黄月の為にメールを下さったのです。ご本人とご家族に今でも感謝をしています。このメールの主が現世を離れたと知ったのは、メールを受け取って僅か1週間しか経っていませんでした。黄月がお礼のメールを送信した時には既に受け取ってくれるメールボックスも削除されていたのです。黄月にメールを送信して下さって直ぐに他界されたのだと思います。この方のお陰で何人もの人様が禁煙に成功しています。

自分の経験からでも人様を救うことはできることを知ったのもこの経験からです。例え自分自身が犠牲になったとしても、人様を救うことができることもあるのです。自分自身の尊い経験が人様の人生に大きく良い影響を与える可能性があるのであれば、自分自身の経験をどんどんと公表して人様を支えたい、救いたいと言う想いに黄月は心を打たれました。
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2008年03月20日

片付けられない症候群を克服しよう。

こんばんは、黄月です。今夜は〔片付けられない症候群を克服しよう〕について書かせていただきますね。

以前の黄月も〔片付けられない症候群〕に罹患していました。家中がどんなに汚れていても、部屋中散らかっていても平気でした。玄関にはパンプススニーカーが散乱、台所は調理器具や食品が散乱。寝室は埃だらけというのが当たり前だったのです。

今は毎日掃除をします。家がちょっと大きいので手間がかかりますが、2分割して掃除をしています。トイレや台所は毎日ピカピカに磨いていますよ。その他は隔日です。2年前に通販で優秀な多目的洗剤に出会ってからは、掃除がとても楽になりましたので、一段と掃除が好きになりました。最近は弱酸性のカビ取り洗剤や洗剤要らずのクロスなど色々と使って楽しく掃除しています。

でも昔の黄月には掃除をする余裕は全くありませんでした。毎日が戦争、朝5時に起床して25時に就寝。殺人的スケジュールに追われていました。毎日3〜4時間しか睡眠時間が取れないような生活をしていました。でも掃除をしようと思えば休日にできたはずです。今思えば、何やかんやと理由をつけて掃除をせずにいただけのことなのです。

黄月は毎日天満宮さんに参拝している時に気づきを与えられました。境内を掃除している人様を見て、無性に掃除がしたくなったのです。境内の掃除を手伝わせていただいて、その勢いで家中の掃除をしました。するとそれから、掃除が病みつきになったのです。掃除をしなくてはいられなくなったのです。

黄月の母親は重度の〔片付けられない症候群〕です。現在黄月が暮らしている家はゴミ屋敷でした。黄月は自宅でご飯を食べることもなく、お風呂はトレーニングジムで済ませますので寝るだけに自宅に帰っていたのです。だから寝室だけがそこそこ片付いていれば別に気にすることもなかったのです。

何かイベント(法要やお客)がある度にバタバタとガラクタを押入れに隠したり、隠し切れなくなると空き地に倉庫を建てて、見える部分だけを片付ける母親の姿を見ていました。「いつまでこんなことやるんだろ、どんどん倉庫建ててガラクタ押し込んで。」と心配はしていました。でも黄月も〔片付けられない症候群〕でしたので、母親の行動を見てそれを手伝うしかありませんでした。

黄月の母親は、掃除をする黄月を見る度に不機嫌になります。母親が散らかした新聞雑誌や食器を片付けると、「嫌味な人やね。昔はあんたも掃除しなかったのに。」と言うのが口癖です。黄月は「昔は掃除しなくても、今はやらないといけないことに気づいたことは良い変化だよね?それを進歩と言わずに何と言う?」と答えます。いつもいつもこのような会話を交わすのです。

黄月の母親にとっては、過去も現在も未来もごちゃ混ぜです。考え方もいつも後ろ向きなのです。過去が全てで、過去を基準に物事を考えるのです。その思考は〔片付けられない症候群〕の典型的なパターンなのです。掃除や片付けができないだけでなく、心の整理もきちんとできていないのです。心と肉体は連動しています。掃除や片づけをするようになると、自然と心の中もきちんと整理できるようになるのです。

汚い環境にいればどんどんと心の中のゴミも増えていきます。どんどんとマイナスの感情が蓄積され、後ろ向きな考え方しかできなくなるのです。黄月の言う〔片付けられない症候群〕とは心の整理と掃除片付けなど両面を指しているのです。

黄月宅はいつもピカピカです。風水的には家相がとても悪い為に昼間でも廊下と玄関には電気を着けています。ピカピカに磨いた玄関には黄月のお気に入りの『ダイアモンド富士』の写真を飾っています。黄月の家を訪れる人様の殆どが綺麗な玄関と富士の写真を褒めて下さいます。

余りにも波乱万丈の波風が強くて多い為に、黄月はせめて自宅だけはいつも綺麗にしていたいのです。黄月は霊的修行を始める前から中国風水を取り入れていました。『西に黄色』などというようなインテリア風水ではなく、中国風水師に習った本格的な化殺風水です。

最近は気になる場所には水晶さざれを置き、徹底的に汚れない住環境を保つことを心がけています。その成果でしょうか、とにかく宝くじが小当たりするようになっています(笑)。この10年くらいは黄月自身も驚くほど、小当たりが続いているのです。ロト6では7週連続の小当たり記録も持っていますよ。黄月が宝くじを買うのは、もちろん大当たりしたらいいな、という想いもありますが、この風水効果を見極める為でもあるのです。

先週は買い忘れましたが、それまででロト6で3週連続の小当たり。自然と笑みがこぼれる黄月です。小さな幸せに心が温かくなります。これは〔片付けられない症候群〕が治癒した証拠だと黄月は思います。

掃除や片付けの基本は、『汚さない、散らかさない』だけなのです。掃除や片付けをできるだけ手間をかけずに済ませる為に、どんどんと不要品を処分したり、無駄な買物はしなくなります。そうすれば家中が広くなり、埃も溜まらなくなり掃除が楽になります。

黄月の家中は露出した小物が殆どなく、モップでサッサと叩けば、あとは掃除機をかけるだけです。とてもシンプルです。掃除や片付けに慣れて来ると、次第に家具や物品の配置や収納に興味が湧いてきます。そうなればもう後戻りすることはありません。黄月は〔片付けられない症候群〕は先天性の癖ではないと思います。気づきがあれば簡単に完治する癖なのですから。
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2008年03月18日

命の旅路を照らす光。

こんにちは、黄月です。今日は〔命の旅路を照らす光〕について書かせていただきますね。

黄月はある意味無宗教者です。もちろん先祖供養は先祖代々の宗派にて行なっていますよ。黄月は幼少の頃よりキリスト教会の日曜学校に通っていました。幼い頃よりいつも神様は傍に居るんだよ、頑張る子供を応援してくれているんだよと教えられて育ちました。純粋無垢な心で神様の存在を信じ、神様に日々の糧を与えて戴けることに感謝していました。

ところが、中学生くらいになるとサンタクロースの存在を信じることができなくなると同じような感覚でとても神様が遠い存在のように感じるようになりました。『信仰・希望・愛』の世界から自分自身が遠ざかったようにさえ感じられていたのです。とても世の中がせちがらく生き難い不自然な環境で暮らすことがとても辛くなりました。

今は身も心も豊かにそして穏やかに暮らせて居ますが、ここまで来るには大変な道のりでした。強い霊感体質の黄月ですから、霊や人様に振り回されることや振り回すことも多く、波乱万丈の波間で必死にもがく毎日だったのです。たくさんの出会いと別れを繰り返し、そしてたくさんの経験を重ねることが辛くて苦しくて悲しくて仕方がなかったのです。

辛さ苦しみ悲しみを素直に受け入れることができるまでには、たくさんの経験や出来事が用意されていたのです。その経験や出来事を無事乗り越えることができた今は、どんなに大波が押し寄せても、どんな突風が吹き寄せても倒れない自信があります。気持ちを引き上げるだけでは人は強くなれません。たくさんの経験や出来事を乗り越えなくては境涯を引き上げることもできないのです。

どんな茨の道であっても、必ずその歩みを進めることで気づきを得ることはできるのです。ただひたすら前に進めば道幅は広がり、そして選択肢もどんどんと増えるのです。諦めず、貶めず、妬まず、そして自分自身を卑下せずに前に進めば良いのです。自分自身に起こる波風を真正面から受け止める勇気が持てれば、きっとその波風を乗り越える手段も見つかります。

逃げてはいけないのです。逃げることでは問題は解決しません。どんなに辛い現実であっても、生きて戦い続けることに意味があるのです。人は修行をする為に生まれてきているのです。だから辛い苦しい悲しいのが当たり前なのです。その苦から逃げるのではなく、その苦と向き合うことで高いと感じていた壁もどんどん低く感じられるようになるのですから。

どんな苦しみにも必ず終わりは来ます。逃げずにひたすら向き合えば必ず苦しみから解放される日は来るのです。その日を待つこと、その日は喜びの日なのですから。

黄月はこの2週間、めずらしく憂鬱な気持ちで過ごして来ました。年下の友人が逝ったのです。とても辛い最期でした。苦しみ悲しみそして痛みと戦い現世を去っていきました。どんな苦しみも悲しみも痛みも、友人の痛みの前には比べ物にはならないとさえ感じました。

宿命の前には人は無力です。運命は自分で変えることはできます。ですが宿命は変えることはできないのです。まさか友人があのような形で旅立つとは想像できなかったのも事実です。

友人はとてもスピリチュアルに興味を持っていました。有名な霊能者テレビ番組の話をよくしていました。生真面目でちょっと神経質だった友人と『苦しみ』について何度も語り合いました。友人は低い境涯の中で何とか再起し、生き抜こうと頑張っていました。黄月が頑張ってと声をかけることもできないくらい、友人は頑張って生きていました。

友人に黄月の父親の話をしたことがあります。黄月の父親は生前はある程度の地位と名誉とお金を手に入れた人です。ですが信仰心や慈善や慈悲という言葉とは無縁な生き方をしていたのです。自分や家族の為には骨身を削るが他人様のことには無関心でした。その父親は病床に入ってからは痛みと苦しみとの戦いでした。

黄月は意識の中で父親に毎日語りかけていました。『逝くべき場所』とそしてその心構えを父親に何度も説きました。そして今抱える痛みと苦しみを乗り越えてこそ、現世に生まれた役目が完結するのだと何度も何度も話しました。意識の無い父親の目には涙が溢れていました。友人は「最期にどうしてそんなに苦しみを与えられるの?」と質問をしました。

「修行を完結させる為だよ、波乱万丈の波風を終わらせる為だよ。全て用意された波風という宿題を負えないと逝けないからだよ。」と黄月は答えました。そして「黄月のパパはとても頭の良い人だったの、だから試練や苦痛は上手に乗り越えていた。まあ頭で生きていた人だから、心の経験がとても少なかったと思うよ。病気で倒れて最期まではしっかりと心の修行をしていたと思うよ。」。

友人はきっと、自分自身にも当てはまる話だとは思っていなかったでしょう。黄月はもっと友人に心と肉体と魂の話をしてあげたかったと思います。友人の最期の戦いが壮絶であったことは黄月は一生忘れることはできないでしょう。友人の通夜の場で、白い包帯に包まれた友人に『逝くべき場所』と『逝くべき時』を説きました。

突然の出来事で死を迎えた友人に黄月がしてあげられることはただ一つ、友人の前に導きの光を用意してあげることです。友人が迷わずしっかりと前に進めるように導きの光を用意してあげるのです。道先案内人の黄月の大切な仕事です。

友人は葬儀の僧侶の読経が流れる中で、白装束に着替え、光の方向へと旅立ちました。小さな命を従えて旅立っていきました。友人はもう振り返ることはありません。大切な家族を先祖として支え導きたいと願う強い想いがあるからです。友人は黄月の話を覚えていてくれました。先に逝く者は光となって子孫を守護することができるのです。友人には守りたい命があります。今もなお戦っている命があるのです。

人を想う心は神様の心です。自分の幸せの為ではなく、人様の幸せの為に生きる心に宗教は必要ありません。〔命の旅路を照らす光〕こそが、神の心であり想いの心なのです。どの神様が苦しみから救ってくれるとか、どの神様が本当の神様だとか考える必要はないのです。人を慈しみ、人を敬い、人を大切にする心そのものが神様の心なのです。

友人も光になるべく旅立ちました。どんなに無念で辛い旅立ちだったかと考えると今でも涙がこぼれます。黄月はこんなに辛い見送りは始めてでした。宿命には逆らえないとしても、せめて運命はできるだけ穏やかに、そして緩やかであって欲しいと願います。
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2008年02月26日

黄色の財布。

こんばんは、黄月です。今夜は〔黄色の財布〕について書かせていただきますね。

黄月も〔黄色の財布〕を使っていたことがあります。もちろん金運アップを願ってのことです。1年毎に買い替えて2年間使いました。何の効果もありませんでした。2万円近くする財布を1年毎に買い替える為ただの無駄遣いだと後で反省しました(笑)。

黄月は宝くじは小当たり専門ですが、〔黄色の財布〕を使っていた間は当選確率は下がっていました。だから2年で〔黄色の財布〕は使わなくなりました。メディアに登場する自称風水師なる人の『西に黄色』だとか、『北にピンク?』だとかを信じて実践してしまいました。

今ではもちろん〔黄色の財布〕など購入することはありません。ですが、この自称風水師からも教えてもらったことはあります。【何事もバランスが大事】ということです。西に黄色の物品を並べても、黄色の財布を使っても金運は上昇しないという事実です。

間違えれば、間違いを徹底解剖するのが黄月です。神戸の中国人の風水師と友達になったり、本場である中国の風水書を読んだりと間違いの本質を探したこともあります。黄月の出会った中国人の風水師は現在も日本に居ます。そして本場の風水を人々に広めています。黄月はこの出会いにより間違いの本質を知ることができたのです。

風水も陰陽も【バランスが大事】です。西に黄色を配置してもそれだけでは運気は向上しないのです。運気を向上させるには、根本から改善しないといけません。気の流れが悪ければ気の流れを改善する、霊的障害や霊的影響があるならばそれを取り除く、そこに暮らす人様の心に問題があるならばその問題を解消しなくてはいけないのです。

ただ単に『西に黄色』を配置すればそれは偏りそのものでしかありません。その偏りは金運ではなく不運を呼び込むことさえあるのですから。このような話をすると怖いと感じる人様もいらっしゃると思います。ですが実際にバランスを考えずに取り繕うと悪い影響が出ることもあることを覚えておいて欲しいのです。

黄月の家の中には霊的グッズは殆どありません。水晶さざれや浄化塩、パワーブレスレットの類だけですね。他の霊能者の家には神殿?なるものが存在する場合もあります。その部屋に仏像やマリア像、大きな神鏡や勾玉や訳のわからない密教等が所狭しと並べられているのも見ました。占い師に鑑定をお願いしたことがある人様ならば、鑑定室でこのような場面を目にしたことがあるかも知れませんね。

黄月はこのようなモノは飾りでしかないと思うのです。実際に鑑定や施術にこのような飾りは必要ありません。黄月宅には神棚と仏壇があり、今は黄月が守っています。特別なんやかんやと霊的グッズや像を並べたりする意味が黄月には理解できません。

黄月の知り合いの霊能者に以前尋ねたことがあります。「こんなにスゴイ神殿を守ってるならば、さぞご自分の神棚や仏壇はご立派でしょうね?」。その返事は「そんなの祀ってない。祀る必要はないでしょう。」でした。苦しい時は神仏に頼る、だけど自分のルーツは知らん振り。それは虫の良い話です。これがアンバランスなのです。

物事には表と裏があります。自分が霊的な仕事をするならば、まず自分の足元をきちんと固めて置く必要があるのです。足元をきちんと固めてくれる力が守護力であり加護力なのです。それらの力なくしては、自分自身を霊的存在から守ることはできないのです。霊的存在と対峙する仕事をする人こそ先祖供養が必要なのです。

黄月は【何事もバランスが大事】ということを知ってからは、自分自身で積極的に先祖供養に関わろうと考えるようになりました。スゴイ神殿を持つことよりも、『西に黄色』を実践するよりも、基礎となる力を得る為です。そう考えれば、先祖供養も楽しくなると思いますよ。

人は守られて生かされているのです。その守りを固めることが何よりも大切であり、早急に必要なことなのです。そこから全ては始まるのです。何事も順序正しく整えなくては意味がないのです。良い気の流れを得ることで運気は上昇します。良い気の流れをもたらしてくれるのは、ご自分のルーツであることを覚えておいて下さい。

幸せになりたければ順序正しく、環境整備を行なって下さい。いきなり〔黄色の財布〕を使っても、『西に黄色』を実践しても金運は向上しません。それには、それに見合った土壌整備から始めてみられることをお勧めします。きっと良くなりますよ。
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